匂い

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 T県からI県に入るあたり、江戸時代からの面影を色濃く残す集落の中を通る。国道とは名ばかりの片道一車線の細い道で、小さく右に左にとカーブが続く。いきなり道路を横断する地元の人もいて、運転には気を遣う。それなのに―― ポツ。 フロントガラスに小さな雨粒がついた。 ポツ、ポツ、ポツ 「あ。降ってきた?」 あたりは夕闇が迫り薄暗く視界が悪い。その上に雨である。どの民家も固く雨戸を閉ざしているようで(あかり)が洩れてこない。前走車も対向車もいない。 「走りにくいなぁ」 とつぶやきながら、夫はヘッドライトをハイビームにした。強烈な光の中に雨の筋が浮かび上がる。  最初は小さな水滴が間を置いてつく程度であったが、やがてすぐにその間合いは短くなり、フロントガラスは一面びっしりと小さな水滴で覆われた。 「ひどくならないといいねぇ」 助手席に座ったわたしのそんな言葉をあざ笑うかのように、急に雨脚が強くなった。 「うわ。鰻どうする?」 運転する夫がいう。ワイパーはせわしなく左右に動き雨水を弾き飛ばしているが、それでも雨水は滝のように間断なくフロントガラスを流れていく。車内にはドドドドドと車を打つ雨の音が響き渡る。 「せっかく来たんだし、食べたいなぁ」 ちょうど車は、U沼のほとりに差し掛かっていた。 進行方向にはぱっとした店がなさそうだ。沼を望める店は反対車線にある。 「沼が見えるほうがいい」 「いや、雨だしほとんど暗いし。こっち側でいいじゃん」 だが、わたしは沼側の店に入ることを主張した。おあつらえ向きに(のぼり)を何本もはためかせた立派な建物が前方に見えた。照明も明るかった。     
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