匂い

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「あそこあそこ、あそこにしようよ」 雨もなんのその、わたしは夫を()き立てて車を方向転換させその店に落ち着いた。  提供された鰻定食は肉厚のふっくらした鰻がカリっと焼かれてあり、みりんの香ばしい香りと山椒の香りが否応なく昼抜きのわたしたちの食欲を刺激した。  旨い料理は会話を弾ませる。一時間半ほどもいたのだろうか。会計を済ませて店の外に出ると、激しく降っていた雨はあがり、湿気がべったりとわたしたちを包んだ。空は墨を流したように黒く、店の裏に広がっているはずのU沼も闇に包まれていた。 「まだ5月なのにすごい湿気」 湿度が何より苦手なわたしは口を尖らせた。 「沼の(そば)だからでしょ」 夫はまるで意に介さない風である。沼から吹いてくる風が生臭い。湿度も気温も高いせいだろう。何だか気分がざわついたが、口には出さなかった。自分のわがままで店に寄ったのだから、あまり不平を言っては流石(さすが)に夫に申し訳ない。そんな気持ちだった。 「ちょっと煙草吸っていい?」 「またぁ?」 まつわりつくような湿気から一秒でも早く逃れたかったわたしは尖った声を出した。夫はなんだよぉと言いつつも、 「じゃあ先に車で待っててよ」     
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