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夫はそのまま黙って運転を続ける。窓を開けているのに匂いは取れないばかりかますます強くなる。車内全体が匂いに包み込まれた。
「まだ匂う……よね?」
「……うん」
ひどく口数の少なくなったわたしたちはカーラジオから流れる陽気な音だけを頼みに何とか家にたどりついた。匂いは車内に充満したままだった。
翌朝、とにかくお清めをしようとわたしは袋ごと塩を持って、後部座席のドアをあけた。
もう昨夜の匂いは残っていなかった。よかった、とほっとしながら、まず後部座席にパラパラと撒いた。それから助手席にまわってアルミホイルに包んだ塩をダッシュボードに入れる。
ふと頭上に気配を感じて、目を上げた。見上げた先にはフロントミラーがある。ミラーが白く曇っている。何だろう? よく見ようと顔を近づけたわたしは悲鳴をあげそうになり口を押さえた。どさり、と塩が落ちて床一面に散らばった。
フロントミラーの鏡面は、ファンデーションをつけた指を押し付けて遊んだような無数の細い指の跡で埋め尽くされていたのである。わたしは声を振り絞って夫の名を叫んだ。その後のことは覚えていない。
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