第エヌプラス一夜

2/7
前へ
/15ページ
次へ
 目が覚めると、枕元に姉貴が座っていた。 「姉ちゃん……? 今何時?」  寝起きだからか、口調がふわふわしてしまう。 「9時だよ~」  何日かぶりに聞いた姉貴の声は変わらず飄々としていた。 「あんた最近起きるの遅いね」  言葉を受けてカーテンの方を見ると、明かり一つ見えない。豆電が明るく見える時間帯だ。 「夏だから仕方ないだろ」 「夏至はとっくに過ぎたから、7時でも起きれると思うけど。調子悪い?」  心配しているのかわからない、軽い口調である。 「姉ちゃんこそ、最近寝るの早くないか? ただでさえ長時間睡眠だったのに」 「なーんかね、最近ルーティンを少し変える羽目になったんだけど、どーもそれが影響してんのかなって」  ギクリ。それが、影響? 「ねえ、あたしのおやつ、食べてるでしょ」  俺は起き上がり、俯いてくつくつと笑った。  漸く気づいたか。  だが素直に認めるのは癪だ。努めて淡々と返す。 「姉ちゃんのおやつ? そもそもどこにあるんだよ」 「あたしの部屋」 「俺が姉貴の部屋に高校のときから入れないの、知ってるだろう」 「数字アレルギーね」  姉貴の所為だがな。  俺は高校時代、学年でトップを走り続けていたにも関わらず、人智を超越した存在とも呼べる姉貴によってコンプレックスの塊になってしまった。周りは皆、俺の下にいたが、姉貴は目に見えない高さにいた。姉貴は豆粒みたいな俺を遥か上から見下ろしていたのだ。  上からの目線が嫌で嫌で仕方なく、我慢できなくなった俺は躍起になり、どれか一つぐらいは姉貴に勝とうと決意した。  どうせだったら姉貴の得意分野で圧勝し、プライドをズタズタにしてやろう。  自室の壁を数字や数式で覆い尽くすほどの理系マニアの姉貴に、俺は無謀にも数学で勝とうとした。当時、姉貴は医学生だったので、大学の数学まで学んで学んで学びつくせば勝てると踏んだ。  数学漬けの毎日。途中まではスムーズに進んでいたが、段々捗らなくなってきた。進めるに連れ数学の抽象度は増していき、完全に理解しようとすればするほど頭から数式が流れ出していく。行き着いた先はノイローゼ、数字アレルギー。ちょっとした数式を見るだけで、目眩・動悸・発汗の三拍子。そうなって初めて、俺は自分が数学をあまり好いていなかったのだと気づいたのである。  文転して大学に進学した俺を尻目に、姉貴は楽々と首席卒業し、研究医になった。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加