美しき影武者。

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 東迄の道程は長いこと。所々、其の国境近く迄民衆の祝福の声は聞こえたが、漸く人も疎らになってきた。錦は牛に引かせる屋形の中で、只ぼんやり牛の足に合わせて揺れる簾を眺めているだけ。暫くして、又外が賑やかになってきた。東の民衆も、西の女帝の妹、そして自国の帝の后になる『皇女』の花嫁行列を迎える為に集まったのだろう。祝福と歓声が、力強く聞こえてきて。屋形の中、只人形の様に表情の無い錦は、此の時に死を覚悟していた。遂に、敵陣へ入ったのだと。正体が明るみに出た後は、例え殺されなくとも己の人生は決して明るくはあるまい。良くて粗末な部屋で軟禁、いや、罪人の牢へ幽閉だろうか。其処が生き地獄を見るなら、与えられる死は情けともなろう。不安と恐怖の中、姉が東の帝と交渉の末に護衛としてつけてくれた、幼馴染でもある隠密に所属する青年、時雨(シグレ)の存在が心強く、幾らか心を慰めていた。  何れ程の時を要したのか、東の御所へと辿り着いた。門を潜れば、最早袋の鼠。最大の任務を何としても成し得ねばならない。迎えられた行列の為に其の門が開かれる。厳かな声が御所内に響き、出迎えた帝が佇んでいた。揺れていた車が、静止する。いよいよである。屋形より出てきた錦は、時雨に手を引かれ、佇む東の帝の前へと歩み寄る。少し俯けていた顔をゆっくりと上げる錦。其のあまりの美しさに、帝は素直に言葉を失ってしまった。女帝と良く似た其の顔は、己の知る女帝が見せていた気丈で気高い美しさとは又違って見えたのだ。穏やかな、春の日差しの様な優しさを見た気がした。姿を見る迄、多少疑念があった帝ではあったが、此れは間違いなく『妹』であろうと納得が出来た程であった。
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