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「笑え。民衆から目を背けるな」  聞こえた声は、一刀であった。其れは些か神妙であるが、顔は民衆へ向けられたまま、笑顔で居る。此の予期せぬ出来事へ、気を失う処か錦の意識は逆にはっきりとしっかり保たれる。此の状況が落ち着かないのだから。しかし、何故だろうか。己は男であるのだから、男に此処迄密着されて沸き起こる感情は此れでは無い気がする。そう、例えば嫌悪感であったりしないのか。であるのに、決して嫌悪感ではないもので。とは言え、今此処で己の精神状態に有り難い事は確か。賑やかで、大勢の人の目が集まる場所は、錦が最も苦手とするものなのだ。取り敢えず、気になる事は後回しだと一刀へ体を素直に預ける錦。錦が自ら身を寄せる感覚に、一刀もほんの一瞬であるが笑顔をおさめてしまった。一刀も一刀で、此の一瞬に妙な感覚に囚われたのだった。  互いに、心が波打つ感覚に戸惑いつつも、本日の御披露目は良い雰囲気のまま終える事が出来た。其の後も儀礼的な会食等が続いたが、此方は特に問題がある訳ではなかった。一刀も錦も、互いに背負うものがある中で共有している秘事から、妙な連帯感が生まれていた。紛い物であろうと、完璧に『仲睦まじい新婚夫婦』を装おう事が出来た様だ。  一先ず。初の公務を終えた錦は、私室へと時雨と共に戻って来た。昨日と同じく、女官は部屋の側で控えている。やはり此の時が一番落ち着ける。大の字で寝転び、伸びをする錦。昨日の様に笑いながら突っ込むのかと思っていたが、時雨は静かに座すと難しそうな表情で錦を見詰めている。伝わる妙な雰囲気に、何となく身を起こした錦は小首を傾げつつ時雨を見た。
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