朝石市片吉1-8 片吉駅徒歩8分 築39年/貸店舗 自社

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朝石市片吉1-8 片吉駅徒歩8分 築39年/貸店舗 自社

「お疲れさまです」  今日も店舗の中から聞こえた。  明るく感じの良い、若い女性の声だ。  郵便局員の塚田 出(つかだ いずる)は、顔を綻ばせた。  暑い中配達に回っていて、この店への配達が小さな癒しだった。  美容室はまゆう。  田舎の込み入った道路沿いにある、小さな美容室だった。  かなり昔からあるらしく、客は近所の年配女性ばかりのようだった。  もはや美容室というよりは、ちょっとした寄合所のようになっているのだろうと想像した。  入り口のガラス戸に掛かった薄いカーテン越しには、だいぶ歳を取っていると思われる女性が(はさみ)を使う姿が時おり見えた。  店の奥には居住スペースもある造りだ。  お婆さんと、孫娘か何かでやっているんだろうと想像していた。  入り口の横にある出窓には、カット練習用の頭部マネキンがディスプレイ代わりに置かれ、その周りには造花が数本散らしてあった。  造花は、最近の百円ショップなどにあるものではなく、昔のいかにもプラスチックの作り物という感じのものだ。  適当に置いたという感じでセンスは悪く、(ほこり)がだいぶ溜まっている。  いかにも田舎の古くからの店という感じだった。  ただ、置いてあるカット練習用のマネキンはいつも綺麗で、髪型も時々変えてあった。  奇をてらったような奇抜な髪型ではなく、ごく普通のセミロングという感じなのが、何となく塚田は好感を持っていた。  メイクも薄い。  昔のマネキン人形の、どぎつい青いアイシャドウを付けたようなのとは違う。  感じの良いナチュラルメイクだ。  ここだけは、手伝っている孫娘のセンスなのだろうかと思った。 「あのっ」  塚田は声を張り上げた。 「ポ、ポスト入れときますんで!」  言う必要も無いのだが、返事が聞きたくてわざわざそう言った。  即座に返事はなかった。  聞こえなかったのかなと思い立ち去ろうとした。  店に背を向け、エンジンを掛けっ放しの郵便局のバイクに跨がる。 「お世話さまです」  ややしてから、店の方からそう若い声が聞こえた。  配達中の僅かな楽しみを噛み締めて、振り返る。  入り口のガラス戸越しに、年配の女性がゆっくりと横切るのが見えた。  数日後。  配達に訪れると、店は閉まっていた。  定休日でもないのになと思い、ガラス戸の向こう側を見る。  店の勝手口から黒いスーツの男性が現れた。  二十代中盤くらいだろうか。  童顔だが、表情は見た目よりは落ち着いた感じだ。  ここの客層とは明らかに違っていた。  勝手口の扉の鍵を閉めると、こちらを向いた。  身内だろうか。  塚田は、郵便物を手にしたまま眺めた。 「郵便物ですか」  男性は言った。 「よろしければ、うちでお渡ししておきましょうか」  男性はそう言い、手を差し出した。  ああ、と言って一度手を引き名刺を取り出す。  渡された名刺には、華沢不動産・事故物件担当、華沢 (そら)とあった。 「不動産……」  塚田は名刺を見ながら呟いた。 「この店、売るとか?」 「いえ。うちの物件なので」 「賃貸だったんですか」  塚田は言った。  何となく持ち家かと思っていた。 「ここの店主の方、入院してしまったので」  不動産屋は言った。 「ああ、あのお婆さん」 「留守になるので、いろいろ頼まれて来た所だったんです」  塚田は、不動産屋の顔をじっと見た。  どういう意味の凝視と捉えたのか、不動産屋は言った。 「親の代からお貸ししている物件なので、すっかり顔見知りなんですよ」 「そうなんですか」  塚田は言った。  孫娘がいるのではと思った。  お婆さんの方に付きっきりで、帰って来られないのかな。 「あの、お孫さんは?」  塚田は言った。   不動産屋は、無言でこちらを見た。 「いや、従業員なのかな。若い女の子がいたでしょう。いつも店内から声を掛けてくれたんですが」  不動産屋は記憶を探るように宙を見た。  ややしてから、何かに思い当たったように、店の入り口横の出窓を振り向いた。 「みずきさんのことですか?」  誰もいない所に向かって言った。 「だと思います」  若い女性の声がした。  いつものあの明るい声だ。  塚田は、不可解に思いあちこちに目線を動かした。  声のした辺りには、頭部マネキンが置かれた出窓があるだけだ。 「ディスプレイのふりをするか、ご挨拶をするか、どちらかにした方がいいと僕は思いますよ」  不動産屋は言った。  まさかと思い塚田は頬を強張らせた。 「郵便屋さん」  出窓の頭部マネキンは、にっこりと笑い言った。 「お疲れさまです」  顔の横に細くて綺麗な手を出し、その手を振った。 「店主さんは、もう大きい声出すのはしんどいみたいだから、ここで来客への挨拶くらいはしてあげようと思って」 「他のお客さんは変に思いませんか?」 「音声が出る仕掛けか何かがあると思ってるみたいですよ」  みずきさんとやらは、にっこりと笑った。 「あなたの事情を知って、毎日お線香を上げてくれる店主さんにお返しをしたいのは分かりますけど、びっくりする人もいますから」  不動産屋は言った。  塚田は、不動産屋から貰った名刺をもう一度見た。 「事故物件担当……」 「はい」  何でもないことのように不動産屋は返事をした。  終
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