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ここが事故物件だというのは知っていた。
ネットで、夜中だけ事故物件を扱っている不動産があると知って問い合わせたのだ。
幽霊は特に信じていなかった。あえて否定する程でもないけど。
昼間は普通に営業している不動産ということだった。
事故物件を夜中にしか扱わないのは、演出なのだろう、上手いな、なんて思っていた。
若い女性が突然死した部屋だと聞いた。
部屋は綺麗に使っていた人のようだし、遺体も、身内が様子を見に来たお陰で発見は早かったそうだ。
特に気にする要素は無いと思った。
家賃がかなり割引きされているのだ。神経質なことさえ言わなければ、経済的な部屋ではないかと思った。
「びっくりしたあ……」
午後十時。
様子を見に来た不動産屋に、果帆はそう言った。
事故物件は、夜中に突然解約したがる人もいるとかで、こうして夜に一回だけ様子を見に来る。
いつも黒いスーツをきちんと着た、童顔気味の二十五、六歳の男性だった。
以前くれた名刺には、事故物件担当、華沢 空とあった。
扉越しの確認でもいいと言ってくれていたが、何となくいつも扉を開けて話していた。
独り暮らしだと、たまの話し相手が嬉しくて、ある程度の顔見知りであれば、つい面と向かって話し込もうとしてしまったりするのだ。
昼間の女性の幽霊の話を聞いた不動産屋は、特にどう思った様子も無く、書類を眺めていた。
「お会いしたの、初めてでしたか」
手元の書類がカサリと音を立てた。
「今頃の時期だけ来る方ですからね。お盆で戻って来ると、どうしても一度ここに来たくなるとか」
「戻って来るって……この世、とか?」
そうですね、と不動産屋は言った。
へええ、と果帆は適当な相槌を打った。
事故物件なんて担当していると、そういう方面も勉強したりするのかなと思った。
「意外と普通な感じなんですね。出方がもうちょっと普通だったら、生きてる人だと思って喋っちゃってたかも」
あははと果帆は笑った。
「まあ、相手が幽霊と気付かず喋っている人は、結構いますよ」
書類をカサカサ捲りながら不動産屋は言った。
「お隣りの年寄りの人たち、あの人が見えてたのかな」
果帆は言った。
「隣り」
「そっちの、大きい窓が面した家。お年寄りがみんな揃って、あたしのこと見てたんですよね」
隣りの家の方向を果帆は指差した。
「女の人をおぶって階段昇る人がいたら、そりゃびっくりしますよねえ」
果帆はけらけらと笑った。
ああ、と不動産屋は呟いた。
「近所の俳句好きのお年寄りが集まって、句会というかお茶会というか」
不動産屋は言った。
大きめの茶封筒の中からポールペンを取り出し、書類に何かを書いていた。
「やっぱりそういう集まりなんだ」
「今は空き家ですけどね」
不動産屋は言った。
「え」
「集まっていた方々も、十年前くらいまでに相次いで亡くなりましたし、持ち主のご夫婦が亡くなってからは誰もいません」
淡々と不動産屋は言った。
もう一度、え、と言って、果帆は顔を引きつらせた。
玄関の縦枠から身を乗り出し、隣の家を見た。
どの窓にも明かりは無かった。
「普段、お見掛けしたこと無かったでしょう?」
不動産屋は言った。
「お盆ですからね」
そうと続けると、書類を大きめの茶封筒に入れた。
終
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