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朝石市真峰6-1 築11年/バス停真峰見上徒歩10アパート1K6 コンビニ徒歩8 自社
夕方になっても非常に蒸し暑かったが、空は先程から灰色の雲が覆い出していた。
雨が降り出すのを期待していたが、出掛けている間はとうとう降らなかった。
アパートの敷地に車を停め、浜村 潮は、車を降りた。
チャラ、と微かな音を立てて、車のキーをズボンのポケットに入れる。
冷えたビールを二本と、アイスを入れたビニール袋を指先に引っ掛け、アパートの華奢な階段を昇った。
いつもの年は、お盆休みには地元に帰っていた。
数週間前、豪雨からの洪水の被害で、地元の地域のかなり広い範囲が浸水した。
帰らない方がいいと実家の母に電話で言われ、頷いた。
潮の実家の家屋は無事だったが、実家から車で十分ほどの地域は、大人の背丈ほどに浸水したらしかった。
頬に垂れた汗を、手の平で拭った。
地元の被害を知っておいて何だが、やはり雨が欲しい。出来れば物凄く激しいやつ。
就職を機にこのアパートで独り暮らしを始めて、十年ほどになる。
毎年、お盆休みには地元に帰っていたので、地元のお盆しか知らなかった。
この地域のお盆の時期を見るのは初めてだった。
地元とはやや違う風習もあるのだと、買い物がてら周囲の家を眺めて思った。
アパートの階段は、歩を進めるたび大きく振動した。
やや早足で昇って行くと、背後から何かを引き摺るような音が聞こえた。
振り返る。
小柄な女性が、毛布でくるんだ大きな荷物を懸命に引き摺り運んでいた。
非常に重いらしく、階段を一段上がるのにも数十秒はかかっていた。
潮は、酷い湿気で流れた汗を拭った。
この暑さでは緊いだろうなと思った。
「手伝いますか?」
階段を降りながらそう言った。
女性はゆっくりと振り向いた。
二十歳くらいの、若い女の子だった。
黒髪を後ろで団子状に纏め、化粧っ気もない感じだったが、ぱっちりと大きな目が印象的だった。
「下から持ち上げますか?」
階段の下の方まで降り、潮は荷物の下の方を持った。
随分と重い荷物だった。
大きさも、大人の男性くらいある。
「中身なに?」
潮は尋ねた。
女性は、無言で荷物を上に引っ張り上げていた。
無愛想な子だな、と潮は思った。
ここを上がって行くということは、自分と同じ二階の住人か。
近くに美大があった気がする。
そこの生徒かなと思った。
中身は、作品の題材で使う物か何かか。
上の端と下の端とを持ち上げて運ぶと、荷物は時折、真ん中から二つに折れた。
どうにも運びにくい代物だったが、何とか二階の通路に運んだ。
女性は、潮の部屋の隣りで歩を止めた。
「ここ?」
潮は言った。
隣りの人とは知らなかった。
昼間は会社勤務で不在だし、夜は風呂に入って寝るだけだ。
近隣の部屋の住人がどんな人なのかなど、あまり考えたことも無かった。
「通路でいいかな? いったん置いても」
潮は、荷物を運んでいた腕をやや下げた。
「駄目!」
鋭い声で女性は言った。
「ちゃんと部屋に運んであげてください!」
かなり戸惑って、潮は女性の顔を見た。
「いやでも、部屋に運ぶとなると」
潮は言った。
女子大生くらいと思われる子の、独り暮らしの部屋に入ることになるんだが。
後でセクハラだの何だの言われそうだ。潮は顔を顰めた。
「ごめん。あとは一人で無理なら、別の部屋の女の人とか、管理会社の人とか」
「あ、不動産屋さん……」
不意に、女性の表情が変わった。
先程から何を話しかけても無言で、ぼんやりとした目をしていたのが、急に表情がはっきりとし出した。
急に「あわわ」と不明瞭な言葉を口にすると、女性は口を押さえた。
「で、電話。不動産屋さん」
おろおろとそう言い、自身の腰の辺りを探った。
多分だが、いつも持っているバッグの携帯の位置があの辺なのだろうか。
「電話、中だ」
女性はそう呟くと、また腰の辺りを探った。
暫く自身の腰の辺りや服のポケットを探ったあと、思い出したように玄関のドアノブをグッと握った。
玄関扉が開いた。
鍵を掛けていなかったのかと、潮は面食らった。
女性はそのまま、バタバタと部屋の中に消えた。
「あの、荷物」
中に向かって潮は声を張り上げた。
返事は無かった。
「ここに放置でいい?」
暫く待ったが、やはり返事は無かった。
気にはなったが、チラチラと振り返りながら、潮はその場を後にした。
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