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かなり溶けてしまったアイスを、開けずに冷凍庫に突っ込んだ。
一度溶けてしまうと、微妙に味や食感が変わることがあるが、その変わった方の食感が実は好きだったりするので、あまり気にはしなかった。
ガサガサとビニールの買い物袋を開け、まだ冷えの残るビールを取り出す。
今日は、もう出掛けない。
これから先の時間帯は、自粛。そう自分に言い聞かせ、頷いた。
プルトップを開け、一気にガブガブと飲んだ。
程よい苦味と炭酸の刺激が喉を通り抜け、暑い所を買いに行った甲斐があったと、ささやかな幸せに浸った。
玄関扉の向こうから、男女の話し声がしているのに気付いた。
「うわああ! 今年もかああ!」
唐突に、若い女性の品のない叫び声が聞こえ、潮は目を見開いた。
何だと思い、玄関扉を開ける。
先ほど荷物を運んでいた女性が、玄関扉を開け放ち頭を抱えていた。
黒いスーツの男性が、緩く腕を組み女性の部屋の玄関前に立っていた。
この蒸し暑い時期にきちんとスーツを着こなし、汗ひとつかいていない。
「あの……?」
潮は声をかけた。
黒いスーツの男性はこちらに気付くと、名刺を差し出した。
「華沢不動産、事故物件担当の華沢と申します」
「はあ」
潮は両手で受け取り、男性の顔を見た。
童顔気味だが、二十五、六歳というところだろうか。
名刺には、「華沢 空」という名前が表記されていた。
「事故物件担当って……そっちの部屋、事故物件だったの?」
潮は言った。
「違います!」
女性が言った。
「このアパートはそういった物件は無いんですが、二十年前のこの辺り一帯の洪水で亡くなった方の霊が、お盆時期だけ階段に出るもので」
不動産屋は言った。
「何かあった場合はご連絡をと」
「洪水なんてあったの……ここら辺」
潮は周囲を見回した。
「今度から物件の水害リスクも説明する旨、不動産業者に義務付けられましたので、改めてご説明に伺おうと思っていたんですが」
「そうなんだ」
潮は、通路に目を落とした。
「さっきの荷物、どうしたの? 運び込んだ?」
潮は言った。
女性は嫌そうに顔を歪ませ、身を縮めた。
「だから、あれが幽霊なんです」
女性は言った。
は、と言って潮は軽く眉を寄せた。
「洪水で死んで、取りあえずで路上に置かれた自分の死体を運ばせようとして出て来るんですよう。去年も引っ掛かったんです、あたし」
女性は嫌悪感で一杯という顔をした。
「……え」
潮は顔を引きつらせた。
先程の荷物の、感触や重さがまだ手に残っていた。
「つまりあれ、死た……?」
「まあ、お盆の時期だけなので」
不動産屋は言った。
「もうそのお盆も終わりますし」
不動産屋の表情が、妙に複雑な感じに潮には見えた。
「気になることがありましたら、またご連絡ください」
やや間を置いてから不動産屋は言った。
「では」
そう言うと、不動産屋は踵を返した。
黒いスーツの背中が階段の方に消えると、不意に、蝉の鳴き声が聞こえた。
終
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