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テーブル横に、正座をしている若い女性がいた。
栗色の髪を肩で切り揃え、Tシャツにカーディガン、ジャージという出で立ちだった。
山里 実穂子。
今のこの部屋の住人だ。
ここに住んで七年目、千秋は自転車との接触事故が元で死亡した。
もう十年近くなる。
夜道で自転車とぶつかって転び、軽症だと思い込んで帰宅したところ、布団の中で意識が失くなった。
霊になっても居心地が良いので何となく居続けてしまったが、実家の父が先日亡くなったことを知った。
良い機会だと思った。父に付いていってあげて、一緒に成仏しようと思った。
「元気でね、千秋ちゃん」
実穂子は膝の上で手を振った。
「……死んでるんだけど」
千秋は眉を寄せた。
ここが事故物件であるのを承知で住んだ人とはいえ、始めは姿を現す気は無かった。
しかし、実穂子のあまりのだらしなさに、ある日とうとう我慢が出来なくなった。
一回だけと思いつつ、姿を現して説教してしまった。
「実穂子ちゃん、何回も言ってるけど」
眉を緊く寄せ、千秋は言った。
「何で脱いだ靴下を置きっ放しにするの? 食事のあとは食器はさっさと片付けたら? 出来ればすぐ洗って。実穂子ちゃん、洗い物ためると、何日もためて置くんだもん」
「ああやだ、うるさい……」
実穂子は顔を逸らし、畳に片手を付いた。
「うるさくない。それから、畳にビール溢したら放置して寝ない。生ゴミを何日も溜め込まない。浴槽のお掃除しないで、ぬるぬるのままお湯を溜めない」
千秋は顔を歪ませた。
「もう、さっきから、あの丼と靴下が気になって……」
「千秋ちゃん、お墓参り行くね。お父さんによろしく」
実穂子はヒラヒラと手を振った。
「何か、実穂子ちゃんのだらしなさが、凄い心残りなんだけど」
「こちらは構いませんので、ご自分のタイミングでどうぞ」
封筒に書類を戻しながら不動産屋は言った。
「えっ。不動産屋さんて、住み着いてる幽霊の成仏奨励してんじゃないんですか?」
実穂子が正座を崩して声を上げた。
「特に奨励はしてませんが……」
緩く腕を組み不動産屋は言った。
「ホームページのコメント欄で見ましたよ。事故物件の霊を格好良く調伏したって」
「ガセです。後で削除しておきます」
不動産屋は淡々とした口調で言った。
「もう少しだけ居ようかな……」
窓の外の銀杏の葉を眺め千秋は呟いた。
美穂子は膝で畳を擦るようにして移動すると、靴下を拾った。
「大丈夫! 安心して成仏して、千秋ちゃん」
心なし顔がひきつっている。
「では」
全く空気を読んではいない感じで、不動産屋は真顔で会釈すると、立ち去った。
終
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