135人が本棚に入れています
本棚に追加
/77ページ
朝石市那間良2-7 築15年/アパート1K/南向き 備考:コンビニ徒歩5分 自社
午前十二時ジャスト。
青天目 海は、三脚に固定したスマホに向かって正座した。
あまり正座に慣れていないので、座る仕草は少々ぎこちない。
古い畳がジーンズのズボンと擦れた。
イヤホンジャックに差し込んだマイクに向かって、潜めた声を発する。
「はい、NABATANの、事故物件に実際に住んでみちゃいました~」
スマホを三脚ごと両手に持ち、ぐるっと部屋の中を撮す。
昭和っぽい砂壁。
和風の四角い傘の付いた電灯は暗めで、天井隅と畳の隅は明かりがあまり届かず薄暗かった。
海の動く影が壁に大きく映って、偶然不気味な感じに出来上がった演出に内心喜ぶ。
ユーチューバーという程ではないが、アルバイトの合間に見よう見まねの動画を投稿するのが趣味だった。
たまたま数日前に、事故物件専門の不動産屋がいるとネットの書き込みで見て問い合わせをしてみた。
家賃はピンキリだったが、非常に安い部屋もあった。
月決めではなく数日ほどの契約から受け付けるとのことだったので、好奇心で一週間の契約をした。
敷金礼金も無かった。
こうやって好奇心で住んでくれる人を募集して、告知の義務を無くすとかいうあれかな、と思った。
まあ、別に気にしない。
幽霊がチラッとでも映ってくれれば、注目されるかなと期待しながら第一夜を迎えた。
更に声を潜めて続ける。
「ここは、若い男性の幽霊が出るそうです。死因は事故死。夏の、雨の日だったそうです」
サアア、と軽い音を立てて雨が降り出した。
うお、凄えタイミング。
海は、わざとカーテンを開けっ放しにした窓の外を見た。
郊外の物件なので、この時間ともなると街灯と車のライト以外の光源は殆どない。
真夜中の暗い空から、部屋の明かりに照らされた白い線のような雨が落ちている。
れ、霊現象かな、これ。
霊現象に会ったこと無いから分からん。
はっと思い立ってマイクに向かう。
「待ち受けたように雨が降って来ました。この部屋に出没するという男性の霊の仕業でしょうかっ!」
こうやって盛り上げるんだよね、上手い上手い、と内心で自画自賛する。
「男性の霊が、何かを伝えたがって……」
呼び鈴の音がした。
誰だよ、と思いながら玄関の方を見た。
宅急便でぇす、と聞こえた気がした。
心当たりは無かった。
こんな真夜中に配達ってあるのか、と思いながら玄関ドアを開けた。
「お荷物です」
玄関先に二十代中盤ほどの配達員がいた。
玄関前通路を照らす明かりがかなり薄暗いので、顔の半分くらい影がかかって見える。
「うちじゃないと思うんですけど」
海は言った。
配達員は数秒間、無言で海の手元辺りを見ていた。
「えと、片波アパートでは」
「違います」
「あの、片波アパートってどこですか」
「いや……俺もここ引っ越してきたばっかなんで」
そうですか、と言って配達員は立ち去った。
近くの交番にでも聞くのかなと海は思い見送った。
第二夜。午前一時ジャスト。
「はい、NABATANの、事故物件に実際に住んでみちゃいました~」
昨夜は何も映ってはいなかったので、時間をずらしてみた。
「ここは、若い男性の霊が出るそうです」
ぐるりと部屋中を映す。
何か映ってないかなあ、と期待してスマホの画面を見る。
呼び鈴の音がした。
またかよ、と口を尖らせて玄関ドアを開けた。
「お荷物です」
二十代中盤ほどの配達員がいた。
明かりが薄暗いので、昨夜と同じ男性かどうか判別がつかない。
似ているとは思うが。
「違いますけど」
「ここ、桔見ハイツじゃないですか」
「違います」
そうですか、と言って配達員は立ち去った。
海は部屋に戻ると、部屋中を見回した。
何か効率悪いというか。
呼び出す努力でもしてみた方がいいんだろうか。
スマホで降霊について検索する。
セイレーンさんとかいうのが、一番簡単そうだった。
まずコップに水を汲み……。
コップは無いので、空のペットボトルで代用した。
アルファベットを書いた紙の上に置き、十円玉。
十円玉は無かったので、五円玉で代用。
「セイレーンさん、セイレーンさん」
五円玉の上に人差し指を置き、そう口ずさむ。
また呼び鈴が鳴った。
「ああもう……」
海はげんなりして玄関に向かった。
玄関先に立っていたのは、細身のスーツの男性だった。
こちらを見て微笑し会釈をした。
手続きの時に担当してくれた不動産の人だと思い出した。
確か華沢不動産。
事故物件担当、華沢 空と書いた名刺をくれた。
童顔だが、仕事慣れしていた雰囲気をみると、二十代の中盤くらいなのだろうか。
こんな夜中なのに、きちんとした着こなしだった。
「こんばんは。様子はどんな感じですか?」
不動産屋は穏やかな口調で挨拶した。
「夜分にすみませんね。事故物件に関しての営業時間は、夜間のみとなっておりますので、こんな時間に」
「ああ、ええ」
それは既に知っている。ネットにもそのことは書いてあったし、店舗で手続きしたのも真夜中だった。
「幽霊、全然出ませんね」
海は、ははっと笑った。
「そんなことはありません。呼べば、すぐに来ますよ」
不動産屋は、人当たりの良い感じでにっこりと笑った。
「いやあ、やっぱそういう素質無いんすね。こういう場所なら初日からガンガン出るものかと思ってたけど」
「必要以上に来ては、ほら、住んでいる方の生活にも支障が出ますし、ご迷惑ですから」
海は無言で眉の辺りを掻いた。
幽霊がその辺気を使って出るとか言いたいのかな。
何言ってるんだろう、この人。
「動画撮っていたんですか?」
不動産屋は部屋の中をチラッと覗き言った。
「ああ、いやいやいや」
海は慌てて部屋に戻り、三脚の上のスマホを取った。
動画を切る瞬間、不動産屋がこちらに向かってピースした。
「では、これで」
不動産屋は会釈すると、立ち去った。
七日目。午後十一時。
海は部屋の後片付けをしていた。
一週間だけの契約で、元々住んでいたアパートはそのままなので片付ける物は殆どない。
幽霊はとうとう見られなかったなと思った。
生まれて初めて見ることが出来るかと、かなり期待したのだが。
呼び鈴が鳴った。
玄関ドアを開けると、不動産屋が立っていた。
「退室の手続きをしに来ました。延長も出来ますが、どうしますか?」
いやあ、と海は苦笑いした。
「出ます。すいません」
「いえ」
海は不動産屋を中に促した。
「入っても宜しいですか」
そう断って、不動産屋はたたきで黒い革靴を脱いだ。
差し出された書類に簡単にいくつかのことを書き、判を押す。
「そういえば、宅急便の深夜配達なんてあるんすね」
海は言った。
「ええ。この辺りは、深夜に仕事をしている方も多いですからね」
書類を確認しながら、不動産屋は言った。
「何度もアパート間違えて来た配達員がいましたよ」
「ああ、知ってます。どうも極度の方向音痴らしくて。他の入居者からも何度か聞きました」
「それでも勤まるもんなんすね」
「深夜配達は、人手が足りないらしいですからね」
海は、鍵を返そうと床の片隅を見た。
自身が使っていた鍵は畳の上に置いてあったが、一緒に渡されていた合鍵は無かった。
万が一を考えて、親に渡していたと思い出した。
「あ、すいません。合鍵、親に渡しっ放しだ。明日置きに来ます」
海は頭を掻いた。
「鍵返すくらいなら昼間でも大丈夫すか?」
「大丈夫ですけど、昼間の本営業は弟がやっているので、一応事情を説明してくださいね」
不動産屋は言った。
「はあ。えっと、経営は弟さんなんすか」
「ええ。元々僕が親から継いだんですが、僕が事故死した後は、弟が懸命に不動産業の勉強をして引き継いでくれました」
「へえ……」
何か違和感のあるフレーズが混じってた気がするが、当たり前のことのように淡々と言われたので、すぐには分からなかった。
「あまりにすまないので、手伝える範囲は手伝おうかと真夜中だけ」
「そうなんすか」
不動産屋は、手続きを終えた書類を揃えた。
時計はもうすぐ午前十二時になろうとしていた。
終
最初のコメントを投稿しよう!