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その部屋の扉が開かれたとたん、生臭く、カネ臭く、重苦しい空気がのしかかってきた。
日頃、鉄仮面と揶揄されるホアイタイも、さすがに息を止めて眉根を寄せる。
彼女の後ろで、年若い後輩が「うっ」と唸ってしゃがみこんだ。
「突っ立っていないで、さっさと始めろ」
無愛想な衛兵にドンと押され、ホアイタイは中に足を踏み入れた。
薄暗さに眼が慣れるにつれて、予想していた以上の惨状が広がっていることがわかった。
壁際に並んだ豪奢な寝台や鏡台は、さすが皇帝の第三婦人の居室といった威容を示している。
しかしその家具のほとんどは血しぶきで汚れていた。
箪笥を拭いていた女官のひとりがこちらに気づき、近づいてきた。
「工部局の方ですね。誇り高い服飾職人の方々に、このような掃除の手伝いなどお願いいたしまして、申し訳ございません」
そう語る女の顔を見てホアイタイは息を呑んだ。
この部屋の主、ティム妃に仕えていた女官長だった。いつも主人に勝るとも劣らぬ美貌で宮廷中の注目を集めている。
けれど今は、その美しさも消え失せていた。
痩せこけ、やつれはて、一瞬その人だと分からないほどであった。
――ティム妃が亡くなってまだ数日なのに。この短期間でこれほど変わるものか。
ホアイタイは背筋が寒くなるのを感じた。
「けれど助かります。後宮の女官は、次々に体調を崩してしまいまして……。皆様にはこちらをお願いいたします」
女官長は力ない手で、部屋の中央に広がるどす黒いシミを指し示した。
血溜まりだ、と気づいた途端、ホアイタイの耳の奥で、工部局での噂話がよみがえった。
――ティム妃が自害なさったんですって。
自分たちに命じられたこの場所こそ、ティム妃が命を絶ったまさにその場なのだと、彼女は直感した。
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