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彼女はもう地下道の中ほどに進んでいる。
彼も入った。そして僕も。
彼の耳のイヤホンが確認できる位置まで追いつく。
彼の歩調は速くなっている。まるで彼女に近づこうとするように。
チャンチャンという音は、予想どうり軽やかなリズムで地下道の中に共鳴している。彼女のイヤフォンからは大きな音でお気に入りの音楽が流れているに違いない。
彼の手元を見て、少し震えた。
でも追いついて声をかける。
「ちょ、ちょっと。」
彼の耳のイヤホンを確認して、彼の肩に手をかけた。
緊張しているはずの僕の耳に、まだチャンチャンという音が聴こえている。
僕が彼女の後姿を見るのと、彼が僕を振り返るのはほぼ同時だった。
暗い地下道の中、共鳴する鍵音に乗って遠ざかる思わず微笑みたくなる後姿。
そう思ったとき、それが腹に刺された。
傷みなのかどうかわからない。ただ今までに経験したことのない熱さだ。
わかっていたよ。
僕より少し背の低い彼の首に腕を回した。抱きしめるように。
すべての力を腕に込める。
火事場のバカ力ってこういうことかな。自分でも信じられない力が出ているような気がする。
頭の上を電車が通過する音がしている。その音以外なにも聞こえない。あの鍵音も。
彼を抱きしめたまま水路に倒れこんだ。そして彼の体に足を回す。
突然のことに驚く彼と対照的に、不思議と僕は冷静だった。
ついさっき感じた腹の熱さももう感じはしない。
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