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向日葵 1
今年は暑さがおかしい。
まだ七月になったばかりなのに、日中の暑さは真夏を上回り、熱帯夜も続いている。体に溜まった熱がいつまでも引かないまま、ぐだぐだに疲れているのに深く眠ることができない。クーラーを付けて眠ればいいのかもしれないけれど、電気代のことを考えれば、それは贅沢なことだと思ってしまう。
不安定なものに厳しいのは社会だけではない、気候までが安らぐことを許してはくれない。
日中の勤務になってから何日経つだろう。
とろとろと眠っては目覚める夜は、何日目なんだろう。
今朝も早い時間から日差しは強い。時間が経つにつれ例年を遥かに上回る気温へと上がる。
ジリジリと白いヘルメットを焼く熱が頭に伝わってくるまで、あと数十分。アスファルトが蓄えた熱を放出しだすのも同じ頃だ。
人を殺めた理由を『太陽が黄色かったから』と言った小説があった。あの主人公の気持ちがわかる気がする。
毎日、ただ立っているだけに見える僕の前を、何人もの人が通り過ぎて行く。
この時間は、近くの駅からこの道の先の踏切を渡った場所にある大きな工場を目指す人たちの通勤時間。今の時間なら約15分の道のりの暑さも、半時後よりは少しましだとは思う。
誰もが無表情で通り過ぎていく。若い層はほぼすべての耳にイヤホンがある。軽快なリズムに乗って歩けば、少しは熱さも誤魔化せるのかもしれない。
この場所の警備をするようになって、不思議に思っていたことがある。
工場で働く人の通勤時間より1時間ほどあと、同じ駅からの道がいきなり華やかになる。
容姿端麗という言葉は古いのかもしれないが、ルックスも顔立ちも平均以上に美しい女性たちが通る。年齢に幅はあるようだが何人も。
それぞれ個性的な夏らしいファッションに包まれている。僕の前を通るときはもれなく良い匂いがする。
その中の数人は、なぜか僕に軽く会釈をしてくれる。その時間には既にびっしょりと汗を掻き、制服の中で半分腐りかけているような僕に。
これまでの人生で、そんな経験はない。
施設にいるときから、学校に行くようになっても常にそこにいること自体を忘れられた存在だった。
物心ついた時からの吃音は、人前で話すことを躊躇させた。ほとんど言葉を発さない僕は、どの年代のどんなシーンでもいないも同じだった。
僅かな日陰を求めて、現場作業員たちと共に取る昼休みに、高齢の作業員が教えてくれた。
「あの工場の子たちじゃよ。工場って言っても女工じゃねえ、あの工場では工場見学つうのをしとる、昔からじゃ。あの別嬪さんたちは、見学に来た連中を工場の中にご案内する娘らじゃ」
「ご、ご案内?」
僕の質問に、彼より少し若い作業員が付け加えてくれた。
「大人の社会見学って最近流行ってるだろ?あれだ。俺は昔行ったことがあるぞ。工場の中をぐるっと案内してくれる。製品ができる過程を知れて面白かったな。案内の女の子はみんな美人だし、お土産ももらえるしな」
「まあ、この現場もあと1ヶ月くらいだろうがな。目の保養にしとけ。あんな姉ちゃんたちに惚れるなよ、高嶺の花じゃけん」
高齢の作業員の言葉に、もうひとりが大きな声で言った。
「兄ちゃんには高嶺も高嶺、エベレストのてっぺんだな」
作業員たちが笑った。僕も一緒に声を出さずに笑う。
惚れる・・・そんな身の程知らずなことはしない。
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