#1 兎の冠{あるいは:皇帝;}

2/12
前へ
/167ページ
次へ
  * 「ハァイ、深渕クン。ご機嫌よう」  すらりと伸びた女の足に、深渕は顔面を踏みつけられていた。 「…………」  なあんだ交通事故か、と深渕は思った。  意識が遠のいたのは、後頭部に衝撃が走ったからである――  仰け反ったときに女の顔がちらりと見えたからには、飛び膝蹴りを喰ったのだろうか?  だが、転校して間もない学校で、友人どころか知り合いさえいないこの学校で、飛び膝される覚えはないし、暴力の横行する学校かといえばそうでもなく、自由ではあるが節度を保っているように深渕には見えていた。  だからきっとこれは、不運な事故――  何か驚異的なことが起こって、運悪く、女が膝から飛びかかってきた――  としか考えられなかった。  何にせよ、深渕の身体はもんどりうって廊下に叩きつけられていた。 「『見ぃつけた』と言うべきよね、深渕クン」  女はゆっくりと足指を動かして、深渕の輪郭を歪ませる。  ご丁寧に上履きは脱いでいるので、ソックス越しに女の冷えた体温が伝わってくる。  もし事故であるならば、今なお女が顔を踏みつけている説明がつかない。  この状況は何なのだと自分に問いただしてみても、さっぱりわからないとしか返せなかった。  いや、ひとつだけ、わかることがあった。この声だ。  女の顔を見ることはできないが、声には聞き覚えがあった。  全校集会で何度も聞いたことのあるこの声は、  生徒会長・宮家輝美(ぐうけてるみ)のものであった。  頭脳明晰にしてスポーツ万能、おまけに眉目秀麗という鋼のような女である。 「先輩……これはどういう……」   深渕はようやく声を絞り出した。 「あら、『かくれんぼ』は鬼が隠れた人を見つけるゲームでしょう?」  宮家は、恬淡(てんたん)にこたえる。  (ごう)も動じない彼女からは、高潔ささえ感じられる。 「鬼ごっこ、ですか……?」  ますます意味がわからなくなる深渕。  宮家とそんな遊びをはじめた記憶もなければ――そもそも一度も会ったことがない。一つ上の学年の、ましてや生徒会長と、会話をする機会も、気も、まったくないのだった。 「3ヵ月」 「はい?」  宮家は指を3本立てて、深渕に突きつけた。
/167ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加