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「先生ってそんな笑えないジョークを言う人でしたっけ」
「私は人生の中で一度たりともジョークなんて言ったことはありません。一体どうしたんです? 受験勉強疲れですか?」
心配そうに僕の顔を覗き込む先生。
その真剣な眼差しに偽りはない。氷室怜という女性はリアリストだ。こんなくだらない嘘をつくなんて絶対にありえない。
もしかして、おかしいのは自分?
考えてみると、彼女について知らないことばかりだ。
住所、携帯電話の番号、メールアドレス、LINEのID。友人同士であれば当然把握していそうなことを僕は何も知らない。
「あ……」
ふっ――と、地面がなくなってしまったような感覚に襲われる。
「ちょっとすいません!」
僕は慌てて職員室を飛び出した。
教室に戻り、クラスメイトを捕まえて夏川蒼海を覚えているかと訊いてみる。
が、誰しもが口を揃えて知らないと答えるだけ。言葉も分からない見知らぬ街に迷い込んでしまったようだ。
耐え切れず僕は早退した。まっすぐ家に帰らず出鱈目に冬の街を歩き回る。
駅前、商店街、繁華街の路地裏。
どこかで偶然会えるかも――なんて儚い願いを抱いていたが、世の中そう甘くない。
気がつけば、もう日が暮れるところだった。
地球の無慈悲なスピードを嘆きつつ、僕は適当な公園を見つけ、そこのベンチに腰を下ろす。ドッと疲労感が溢れた。
空を見上げる。そこで、あることに気がついた。
「……雪か」
はらはら舞い落ちるそれらを見ていると、自然と涙が溢れてくる。
すると、
「うわっ。何で泣いてんの? 変なの」
すぐ真横。
いつの間にか、そこに一番会いたい人が座っていた。
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