終わりが始まった朝

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「お母さんは?」 「もちろん、もう出た」  お母さんは婦人警官だ。 「本当に、本の中の人たちが出て来てるの?」 「そうだ、としか答えようがない。古本屋、図書館、学校なんかにも被害が出ているんだ。お父さんも本を持ってすぐに出なければいかん。いいか? 絶対に外に出るなよ」 「分かった。でも、それならその本は置いて行ってくれない? その本に出てくるのは優しい剣士だから」  けれど駄目だと怒鳴られた。親はだいたい子供の話を聞かない。 「だったらこの本に危ない奴は出てこないのか? 違うだろう。絶望があるから希望が必要なんだ。物語には悪役がいる。いいな?」  私は声を出す気になれず、黙って頷いた。  希望だって間違いなく、そこにしか無いのに。  お父さんが玄関の扉に鍵をかける音を聞きながら、本の虫の私は世界の終わりを悟った。  家から出るなと言ったところで、例えば龍の溜め息で人は死ぬ。  例えばあの悪魔に勝てるわけない現代社会。  魔法の前で窓ガラスや扉が何の役に立つだろう?  私は鞄から一冊の本を取り出した。私がいつも持ち歩いて、ボロボロになるほど何度も読み返している『題名を下さい』という題名の本。この本の主人公のミカゲという騎士は、今の私たちにとっての勇者だ。ページをめくると、正義だけを道標に戦い続ける彼の名前は波のように揺らめいていて読めなかった。  警察は魔法使いには勝てないし、動物園の飼育委員さんたちは魔獣を飼いならせない。  二度と家族に会えないかもしれないと気付いても、常識の枠を超えた現実は私の頭を凍り付かせる。  リビングの床に座り壁の本棚を見る。そこには母の料理本と父の仕事の小難しい本があったはずだけれど、今は空っぽだ。 「何もレシピまで持ってくことないのに」  テレビなんか付けたって空っぽが増殖するだけ。これが初めての終末で、絶望なのだろう。  庭から足音みたいのが聞こえて掃き出し窓を見た。  真っ赤な目をした白い兎がいた。それは幼馴染のきみちゃんに借りた本に出てきた、皇女様の大事なペットによく似ている。雪のように白く、ふかふかで暖かくて、人の倍ほどの大きな体をして、虎にも勝った強い兎。 「ユマ?」  耳がぴくっと動く。
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