4 君は誰

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4 君は誰

玲はなんだろうと思い、玄関を開けた。 「おはようございます!お兄は正樹さんと無事に出発しましたよ?」 「そう……俺さ、バイトの夜勤明けのままでさ。玲が心配だから来ちゃったんだ。入って良いかい?」 白いTシャツにジーンズ姿の彼。 本当は男の人だから家に入れたくないけれど、拒むのも変だしもう出掛けるところなので、玲は彼を家に上げた。 「もちろんです、どうぞ」 「……うん。俺は見送りだけだから」 玲はリビングに隼人を待たせ、自室で水着に着替えた。 彼女は細身で元々胸は無い。 そんな彼女はトライアスロンの大会に出た時の、セパレートのウエアを着た。 本番はこの上にラッシュガードを着るけれど、今はこの恰好の上に、ジャージとハーフパンツを着て用意を整えた。 「隼人さん。お待たせしました!」 階段から降りてきた彼女の姿に、彼は目を細めた。 「へえ?そうきたか……なあ。玲」 「なんですか」 彼は言いにくそうに頭をかきながら、ゆっくりと話し始めた。 「俺の友人で高明学院に行っている奴がいてさ。俺、玲の事聞いたんだよ」 「え」 突然。 彼女の胸の動悸が激しくなった。 「……すげえ頭が良くて、スポーツ万能でさ。丸い眼鏡の……女の子だっていうんだ」 「隼人さん……」 一度その姿で彼に会ったことがある玲は、彼の悲しい目に胸が締め付けられる気がした。 「やっぱり。その顔。この前、道で泣いていたのは玲だったな。俺さ、あの子の事が気になってたまに同じ時間にあそこにいたんだ」 そういうと、彼は玲の手首をつかんだ。 「……痛いです」 「どうして弟の振りしてるの?俺らのこと、からかってるわけ?」 「違います!お兄に頼まれて」 「いつもそうやって『お兄』って『お兄』って……。優介の事そんなに好きなのかよ?」 そう言って隼人は彼女のもう片方の腕をつかんで、ソファに押し倒した。 「キャ?」 彼女に覆いかぶさる彼の目がまっすぐだった。 「……自分でも良く分かんないんだよ?あの子が好きなのか、玲が好きなのか……よくわかんないだ……くそ!」 「隼人さん……」 苦しそうな彼の顔に、玲の胸は痛んだ。 ……こんな気持ちにさせたのは私のせいだ…… 「ごめんなさい。男子校だから弟の振りをしていただけで。私、このライブが終わったら、みなさんに正直にお話しするつもりでした」 すると隼人は悲しそうな顔の玲をじっと見た。 「じゃ。お前は女の子なんだな」 「はい……すいません」 彼女の体からぱっと離れ背を向けた。 「……いや。いいんだ。本当のことを言ってくれればそれで」 「隼人さん……」 男の子を好きになってしまったと悩んでいた隼人は、玲が女子と聞いて嬉しい気持ちだったが、玲を悲しませてしまってマジでやばいと思っていた。 「ごめん。そんな顔にさせるつもりは、なかったんだ……」 「いいえ。私が悪いんです。本当にごめんなさい」 「玲。もう、謝るな」 彼は玲をふわと抱きしめた。 「俺の方が最低だよ……水着姿をみれば玲の事が分かると思ってさ。逢いに来たんだ。ごめんな」 「隼人さん……」 ピンポーン。 また、玄関のチャイムが鳴った。 こんな空気の中、彼女がそっと立ちインターホンの画像を確認した。 ……うわ。太郎さんだ? 「隼人さん。中学の知人なんです。ちょっと待って下さいね」 背を向けている彼にそう声をかけた彼女は、玄関を開けた。 「おう。なんだトレーニング中か」 「そう。忙しいの。何の用?」 ジャージ姿の玲に幼馴染の財前太郎は家の近所である。 朝八時の彼は白のポロシャツにチノパンツ姿で大きなカバンを肩に下げていた。 「これから塾の講習?」 「ああ。だかな。こういう時は『太郎さん。おはよう』と優しい笑顔を見せて部屋に招き、冷たいお茶でも出すのが礼儀だろう」 「あのね。信用できない男の人を家に入れる訳ないでしょう?」 「俺はお前と幼稚園から一緒だ。まだ俺が信用できないのか」 「うん」 玲は彼をライバルとし倒すために、常に弱みを探し合っている仲と思っていた。 「ふざけるな!俺とお前の付き合いは、かなり濃いはずだ」 「警察呼ぶよ?」 「ふう」 今まで興奮していたくせに急に天をあおぎ、目を瞑った彼を玲は面倒くさいな、と思っていた。 「なんなのよ。早く用件だけ言って」 「……海外選抜は、雨宮に決まった。残念ながら、俺とお前は落選したということを伝えに来た」 目をまっすぐに見据え、彼はそう、悲しくつぶやいた。 「……そうっか。はい、どうも。ごくろうさま……」 「お、おい?ドアを閉めるな!お前は……ショックでは無いのか?」 「いいもの、私は。先生に女を代表して応募しろと言われただけで、行く気無かったし」 「俺は正直まだ、受け止めきれないのだ……」 そういって太郎は下を向いてしまった。 ……あーあ。泣くのを我慢してるし…… 傷ついているのはわかるが、今は慰めてあげる時間が本当に無い彼女は困ってしまった。その時彼女の背後から優しい声が聞こえてきた。 「……玲?出掛ける時間だぞ」 「あ?そうですね」 玄関にやってきた隼人は、にっこりとほほ笑みながら、ふわと彼女を肩に抱いた。 「鳴瀬。その御仁《ごじん》は?兄上で無いよな?しかも早朝から、やけに親しげに……」 目を見開き、後ろに一歩下がった太郎は明らかに動揺していた。 「おほん。俺は彼女に家に上げてもらえて、手料理も喰わせてもらえる男です!なあ。玲?」 「え?まあ。そうですね」 「……何と?……家庭教師、親戚?いやコイツは誰も信用しないから……ブツブツブツ」 幼馴染の玲は、今、太郎は頭の中でものすごい速さで隼人の正体を考え中だと言うことを見抜いていた。 しかし。正解の『兄の友人であり私のバンド仲間』という事は、絶対当てられないう事も見抜いていた。 「もういいでしょう?後で愚痴は聞いてあげるから!私はもう時間が無いの、ごめんね、太郎さん……」 「あ?待て、玲!」 何か言いたげな太郎がちょっと可哀想だけど、彼女は無情にドアを閉めた 「あーあ。もうバスの時間がギリギリになっちゃった」 「玲。俺が送る。用意しろ」 「は、はい」 そして隼人を外で待たせて用意を終えた彼女は、玄関のカギを閉めた。 家の前には見たことのない大きなバイクが停まっていたので、彼女はドキンとした。 エンジン音がお腹に響く中、隼人はほら、と彼女にヘルメットを投げた。 「……玲!」 「なんですか?」 「さっきはごめんな。つい焦ったけど。俺はお前に信用されているってわかったから。今はそれだけでいい」 「隼人さん……」 「いいから。早くしろ。しっかりつかまれよ」 「はい。ひえええ」 隼人の腰に手を回した彼女は、マシンが動き出した時はさすがにぎゅうと抱きついた。 「ハハハ。やっぱり……だな」 「何?」 爆音で、話しが聞こえないが、隼人の腹筋の揺れで彼が笑っているのがわかった彼女は声を掛けた。 「何でもない!いいから。しっかりつかまれよ!行くぞ!」 バイクで一つになった彼らは、真夏の暑い風の中、目的の虹湖へ駆けて行った。 つづく
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