異世界でカイゼン372 外伝・仏師ゼンシン1

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異世界でカイゼン372 外伝・仏師ゼンシン1

 タケウチ工房所属の刀工見習いであるゼンシン11才。もともとは仏師志望であったが、縁あってタケウチ工房で刀工の修行をしている。  指導は国指定の一級刀工技術者であるヤッサンだ。現在は、ニホン刀やステンレス包丁、そして抜群の切れ味を誇るダマク・ラカス包丁などの注文が殺到しており、それだけでもかなりの負荷がかかっている。  だがゼンシンの仕事はそれだけにとどまらない。旋盤やボール盤の本体(ドリルはチーム・スクエモンの仕事である)の製作・組み立ても一手に引き受けている。  さらに、噴水のノズルやイテコマシのコマの軸など、細かい部品を作る作業もゼンシンの仕事だ。また、魔王たちがなにかと注文をつけてくることもある。 オウミ:このナイフが少し幅が太くて扱いにくい。もう少し細く削って欲しいノだ ミノウ:我の魔刀の色がくすんできたような気がするのヨ。磨いて欲しいヨ  魔王たちの持つ魔刀の原料は、特殊な方法で作られた魔鉄である。そのため対応はゼンシンにしかできないのである。  だが最大の仕事は、刀や包丁を作るための銑鉄作りである。原料の鉄は仕入れるだけであるが、この地域で算出する鉄はそれほど純度が高くない。そのためにユウの考案した方法で「精製」を行っている。 「よし。ここまではうまくいった。アチラさん、あと10秒ほどです。用意はいいですか」 「ゼンシン、こちらは大丈夫だ。いつでも言ってくれ」 「さん、にぃ、いち。ここです!」 「せいやせいやせいや!」 ……覚醒魔法の呪文ですよ?  そのとき窯の中で、じゅわぁぁぁあぁぁああっという豪快な音がして真っ白な火花が飛び散った。その飛び散り具合を見てゼンシンが合図を出す。 「OKです。止めてください」 「はいよ。いつもながらすごい火花だな。どうだ、うまくいったか?」 「ええ、これが沸き花というものです。まだ結果は分かりませんが、火花の飛び散り具合からすると、前の試験で一番良かった条件は再現できたと思います」 「そうか、それは良かった。じゃあ、僕はめっきの仕事に戻っていいな?」 「はい、ありがとうございました。今日はウエモンがサバエに行ってるもので、お手数かけました」 「いやいや、これもタケウチの仕事だからね。いつでも呼んでくれ。じゃあ」  ユウの考案した鉄の精製方法。それは、鉄が溶けている段階で「覚醒魔法」をかけるというものである。  ユウはあるとき、覚醒魔法が物質に対して還元作用を持つことを知った。それならば、鉄が溶けているうちにこの魔法をかければ、鉄の中に含まれる不純物のうち気化性のあるもの――イオウやリンなど――が取り除けることに気づいたのである。  そして生まれたのがミノ銑鉄である。しかしその魔法も、かけるタイミングや出力(それは魔法使いの能力に依存する)、そして時間によって、できあがる銑鉄の品質に違いがある。  ゼンシンは何度も何度も試験を繰り返し、そのベストの条件を見いだそうとしているのである。  いつもなら覚醒魔法は、ウエモン(8才の初級魔法使い)が担当しているのだが、出張でいないためタケウチ工房では唯一の中級魔法使い・アチラに依頼したのである。 「これであの接着鉄が3割ぐらいになれば、超級ニホン刀の生産量は倍増することになる。冷めたらヤッサンに見てもらおう」  接着鉄。通常の鉄よりも固いのに、融点が低く早い段階で流動性を持つ鉄のことである。これもユウの発明であるが、発見したのはヤッサンである。  その発見により、タケウチ工房で作るニホン刀は、直径22cmもの厚さの鉄を斬ることができる刀となったのである(もちろん、刀を持つものの技量にもよる)。  こうした毎日の激務を終えたあとも、ゼンシンには遊ぶ余裕はない。本来の仕事である仏像彫刻の修行があるからである。  それはユウの紹介で、仏師・カネマル(ナラの大仏を作った人)という得がたい師匠を得たからである。そちらの修行こそ、ゼンシンの本質でありおろそかにはできないのだ。  カネマルからは毎日1体は必ず仏像を彫れと、厳命されている。夜遅くにタケウチでの仕事が終わったあと、ゼンシンは毎日明け方までノミを振るっている。  このゼンシンにはリアル世界にモデルが存在する。  その説明に入る前に、箸休めならぬ異世界休め? でリアル世界の「廃仏毀釈運動」について述べることとする。  少々(かなり)長くなるので、興味のない人は飛ばして読む……と魔王のバチが当たります? 「ぼ、ぼ、僕の話なんかで、こんなに尺をとっちゃって大丈夫ですか?」 「なんだよ大丈夫かって。お前は自分への評価が低すぎるんだよ」 「そうなノだ。自己評価は適切であるべきなノだ。丁度我のように」 「オウミ、お前は高すぎだ」 「きゅぅ」  ということで、話は伝教大師・最澄(天台宗の開祖。平安時代の人)の時代にまで遡る。 「そこまで戻るのかヨ?!」 「我がこの世に生まれたころに、我の領地にいた名僧なノだ。懐かしいノだ」 「うん、こっちの世界にはお前らはいないけどな」  日本の仏教と神道の関わりについて、である。 その1 神道は言挙(ことあ)げせず  言挙げ。聞き慣れない言葉かも知れない。「言葉にしてはっきり自己主張する」という意味である。  それをしないというのだから、神道にどんな教義も生まれるはずはない。教義がないからいろいろなことがあいまいになり、あっちにもこっちにも神がいるという、統一性があるようなないような摩訶不思議な宗教ができあがった。それが日本神道である。  数が多すぎて八百万(やおよろず)の神なんて言葉ができたぐらいである。  八百万とはよく考えると不思議な言葉である。  八は数が多いという意味でよく使われる。江戸の町は八百八町、愛想のいい娘は八方美人、万年筆ははっぱふみふみ。 「それはジャンルが違うヨ」 「ツッコみ乙である」  それを百倍して八百(やお)になると、数が極めて多いという意味になる。数多くの商品を扱うから八百屋なのである、まめち。  最後の万(よろず)という字も似たような意味を持っている。万屋といえば、なんでも屋で生計を立てている有名なアニメの主人公の職業である。まほろ駅前の便利軒も似たようなものであろう。  自己主張をしてないようで、たくさんという意味の文字をこれでもかと使って日本の信仰を表現しているわけである。  こうしておけば、いくらでもあとから増やすことができるという便利なシステムである。  それを狙ったわけでもないであろうが、このシステムは実際に平将門や菅原道真などの祟り神のように、あとからガンガン追加しているのである。 2.言挙げする仏教が入ってきた  6世紀半ば。そんな素朴な信仰を擁する日本に中国経由で仏教が入ってきた。  仏教には明確な教義があり芸術があり文学があった。それを国のトップが積極的に取り入れたのだ。  さあ、一般的な日本人は困り……はしない。八百万の中に取り込んじゃえばいいのだから。  仏陀も神々のひとりでいいじゃないか。お上はなにやら難しいこと言ってるけど、わしらは拝んでりゃいいだろ、てな感じである。これぞおおらかな日本信仰の形。多神教ならではの懐の深さである。  八百万もいる神が、ひとりやふたり、いや1,000人増えたところでどうってことはない。仏像も一緒に拝めば良い。縁日(お祭り)が増えてラッキーじゃん?  一神教ではこうはいかない。選べるのはひとつだけなのだから、どの陣営も自分の権益や命を守るために必死になる。  それらの国では延々と議論が続き、やがては小競り合いから戦争になり、勝ったほうが総どりをする。そういう歴史を繰り返してきたのがユーラシア大陸の人々である。  そのおかげで議論の技術も科学技術も驚くほど進歩したが、世の中を物騒にもした。 3.神仏習合という妥協案  6世紀の日本政府(大和王朝)は、仏教を広めようと膨大な予算を組み、必死で寺院を建て仏像を作り人民教化に努めた。  おかげで現在の私たちは、膨大な量の文化財に恵まれているのだから、大変ありがたいことである。  しかし人民の教化(八百万はやめて仏教に帰依しろ)という意味では、あまり成功をしたとは言えない。  そのうちに、仏教側のほうから神道と仲良くなっていこうと主張する僧侶が現れてしまう。  それが神仏習合である。  神仏習合を簡単に言えば、仏教も土着信仰も日本神道も全部混ぜちゃえってことである。  ただし仏教が一番上で、その下に日本の神々がいるのだよ、という考え方である。  日本の神々も戦いに疲れちゃったので、もう仏教に帰依しちゃうわ、ってことで神々は仏の最下位ランク(天部)に組み込まれた(天照大神のような例外もある)。  もともと仏教は、インドにあるときから土着神を取り込みまくっていたので、日本でも同じことが行われたのである。  ただし、それにも限度というものがある。かまどやちょっと形の珍しい大木、台風で落ちてきた岩、長く使った針、まさかそこまで天部にするわけにはいかかず、それらは無視された。  多勢に無勢で戦うよりも、放っておこうという選択である。仏教の仏は現代でも1,000ちょっとなので、八百万にはとうてい勝てないという判断である。  日本の神々は人(神)海戦術によって、いくばくかの陣地だけは守ったというところであろう。 「我は自分で守ったような気がするノだ?」 「我は知らないうちに仏教が撤退していたヨ」 「戦ったのは神々であって、魔物側のお前らじゃないだろ。ってか、そもそもお前らの世界とは違うっての」  神仏習合を唱えた人は、天台宗の開祖・伝教大師最澄である。最澄が最初のひとりではないかも知れない(諸説あり)が、その代表的人物であることは間違いがない。  神仏習合によって、ますます日本の宗教は混乱を極めるのだが、日本人はさほど困りはしなかった。  たいした違和感もなく生活の中にそのまま取り込んでしまったのである。あがめる神が少し増えただけのこと。仏が上でも下でも、俺たちにゃ関係ない。  とりあえず拝んでおけば、なんかいいこと(御利益が)あるみたいだぞ。とりあえず祀っておこう。人民にとって仏壇と神棚の違いなど、あってないようなものである。 4.そうは言っても一揆はするぞ  鎌倉時代に入ると次々と新しい仏教が生まれ、人民の人気を集めることになる。  ただ南無阿弥陀仏を唱えれば良いという浄土宗・浄土真宗・時宗。  ただ南無法蓮華経を唱えれば良いという日蓮宗。  ただ座っていれば良い臨済宗・曹洞宗(結跏趺坐で座ると普通の人は足がつるけど)。 「つったことがあるノか?」 「そもそもやれんかった……」 「なさけない行者もあったものヨ」 「うっさいな。関節が自由に動くお前らと一緒にすんな!」  これらがすべて最澄の天台宗から派生したという点は、大いに興味がわくところでであるが、それはさておき。  日本中で小競り合いの起きた戦国期になると、一番迷惑を被ったのは民百姓たちである。  せっかく耕した田んぼが戦闘でダメになったり、自分の家を焼かれたり追い払われたりしたからだ。  やがてその不満を利用する宗教家が現れる。本願寺顕如のように戦国大名にまでなった人もいる。  民百姓からしてみれば自分たちの土地も守ってくれないくせに、年貢だけ徴収されるのはアホらしい。それならいっそ、死後には極楽浄土とやらへ連れて行ってくれるらしい教団に寄付しちゃったほうがマシだと考えたのだ。  さらに混乱が続き貧困が進むと、もう早く死んで極楽に行こうと言う人まで現れる。それが一向一揆に進展するのである。  やけくそと言ってもいいぐらいの信仰であるが、それだけに戦国武将にとっては強敵であった。これには信長も家康もさんざん苦労をさせられた。  しかし世の戦乱が収まるとともに、一揆も収まって行く。そのころやっと日本を統一しようかという武将が現れたのも大きかったのだが、戦国武将たちは気づいたのである。  権力と武力で押さえつけるのではなく、宗教同士を争わせることでその力を削ぐという効率の良い方法があるということに。  その事実は、それまでは侮っていた民百姓の信仰の力を、為政者側が認めた歴史的快挙と言えるかも知れない。 5.廃仏毀釈運動。  そうやって国家権力と戦ったり懐柔されたりしながら、折り合いをつけてきた仏教と日本神道であるが、とうとう袂を分かつときが来た。  明治になってから起こった廃仏毀釈運動である。  しかし明治政府がそれをやったというのはちょっと違う。政府の命令は「神仏分離」であり、単純に神道と仏教を分けろという意味であったのだ。  しかしそれが上から下に伝わる段階においてねじ曲げられ拡大解釈され、神社にある仏像を片っ端から破壊してしまえ運動に変質してしまうのである。  その背後には、水戸学や復古神道を信奉する神道家や国学者の暗躍があったとされている。いずれにしても、これで神仏習合の蜜月時代は終わりを告げた。  廃仏毀釈運動は最初のころこそ大きな運動であったが、その反対運動でもある大浜騒動が起こったりするうちに、徐々に姿を消してゆく。  そもそも廃仏毀釈運動は、江戸幕府の施策により檀家を失う心配のなくなった寺院の、腐敗と強欲に対する民衆の不満の表れである。  暴れているうちに気が済んじゃったというのが本当のところであろう。飽きっぽいのも日本人の特質であるかも知れない。  その暴動は、厳密に言えば明治30年、岡倉天心によって文化財保護法が成立することで終わりを告げる。  壊された仏像は、保護法によって修復するための予算がついた。現状維持修理法によって、いくら時間やお金がかかっても元の姿に戻すというコンセプトで、文化財は厳密に修復されたのである。  その修復技術は現代も綿々と受け継がれている。岡倉天心GJ! である。 6.日本神道は宗教ではなく文化、なのか?  そんな血みどろ男爵のような歴史を交えて紡いできた日本信仰であるが、時代がグローバル化するにつれて別のややこしい問題が起きてきた。  日本神道は宗教なのか、それともただの行事文化なのかという問題である。  宗教学では、宗教には3つのものが必要とされてる。 「教祖」「教典」「戒律」である。  日本神道はあくまで祭祀が中心であり、宗教として必要なこの3大要素が、さわやかなほどにひとつもない。  しかし日本の神社の大多数は宗教法人として登録されている。これは困ったことである。論理的につじつまを合わせることを職業とする学者さんたちにとっては、である。  でも日本人はなにも困らない。またかよって声が聞こえてきそうだが、宗教行事のすべてをイベント化してしまった日本人にとって、深刻な問題にはなり得ないのだ。  多神教ならではのおおらかさと言えなくもないが、それだけではないであろう。二者択一を嫌う文化、争いが嫌いな文化、あやふな状態が気にならない文化、だけど物質には細部にまでとことんこだわる文化、それらを全部ひっくるめて日本人の信仰なのである。 7.最後に  世界では約6割の人が一神教である。仏教は1割ほどしかない。無宗教も15%ぐらいはいると推定されている。  では、日本人はどこに入るのだろうか。八百万教とでも言うべきだろうか。 「金目教はどこにいったのヨ」 「最初からねぇよ! 赤影に聞いて来い」  神でも仏でもいいしどこに入ってもかまわない、それがおおかたの日本人気質であろう。  ただ、ひとつ問題がある。旅行や仕事で海外に行ったときである。  国によっては、ビザの申請や入国カードにReligion(宗教)を書く欄がある。そこにnon(無宗教)と書いてしまうと、最悪は入国拒否、そうでなくてもトラブルになるというケースがあるのだ。  海外では一般に無宗教というのは、共産主義者と見なされる。テロリストじゃないかと疑惑の目を向けられてしまうのだ。  それじゃあということで日本神道と書くと、今度は延々と「それはなんだ?」という質問攻めにあうことになる。どちらにしても良いことはなにもない。  それでほとんどの人は「仏教」と記入することになる。これならすんなり通れて入国での問題は発生しない。  入国される側の国としては、その人の身になにかあったとき、遺体をどう扱えばいいのかがわからないと困るのだ。  その程度の理由で作られた質問項目なので、入国担当の人を安心させてあげればいいということである。これは信条ではなく、単にプロパティを聞いているだけなのだから。  家の中には神棚と仏壇を隣に置き、12月末にはキリストのミサ(クリスマス)を祝ってラブホテルを満員にし、古代ケルト人の収穫祭(ハロウィン)はコスプレイベントの別名となり、お盆という先祖を供養する仏教行事では、親戚・近所の人までが集まって盆踊りで大騒ぎする。  正月には、豊穣を司る歳神(としがみ)様をお迎えする神道行事として福袋を買いあさったかと思えば、子供が無事育ったお祝いに道教のお札を納めに行き、ついでに千歳飴(発祥の地は神田明神らしい)を買ったりする。  結婚式は教会で、合格祈願の願掛けは神社で、葬式は寺で、観光では仏像を拝観する。しかし仏陀の誕生日(4月18日)にはなんの興味も示さない。  そういうカジュアルな神仏との付き合い方こそ、日本人の信仰の本質なのである。  近頃では寺社の境内で、顔つきがまるっとマリア様の立像を見る機会が増えて来た。もともとはキリシタン禁制の時代に造られていたマリア観音だが、最近なぜか流行っているようである。  キリストの聖母さえ、日本人は観音菩薩にしてしまっている。見る人が見たらこれは冒涜だと言われそうだが、そういう神や仏との付き合いを、日本人はずっとして来た。それはとても健全な、神々との付き合い方なのだと思うのである。  宗教の分野でも、日本はガラパゴスなのである。 「ふむふむ」 「分かったか?」 「長かったヨ」 「それだけかよ!」 「ひとつ聞きたいノだ」 「なんだ、オウミ?」 「これ、もともとなんの話だったノだ?」  あれ? なんだっけ?  続く(おいっ
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