エトランジェの涙

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「失礼します」彼女は小さくお辞儀をして、部屋に入ってくる。 やはり若い女性と部屋で二人きりになるのは、いくつになっても緊張するものだ。 「それじゃ、そのソファにかけて」 彼女に向かったまま、私はソファを指さす。が、彼女は首を横に振る。 「いえ、すぐ済みますので、このままで」 「あ、そう」 よく分からないが、まあ、彼女がそう言うのなら立ち話もよかろう。ただ、いずれにしても、これはやっておかなくてはならない。最近セクハラだのなんだの色々五月蠅くなってきているので。 私は棚に置いてあるICレコーダーを取り上げる。 「会話を録音させてもらうけど、いいかな」 「ええ、もちろん。むしろそうしてもらえた方がありがたいです」 「分かった」 早速私はレコーダーのスイッチを入れ、胸ポケットに入れる。 「で、話って?」 「先生の『多世界解釈における世界間量子遷移の可能性について』、読みました。プレプリントサーバー(※1)からダウンロードして」 「……!」 私は驚愕する。それは私のD論(博士論文)のタイトルだった。もう二十年以上に前になるが、確かに私は書き上げたD論をプレプリントサーバーにアップロードしている。しかし……それを読んだ、というのか?この、どう見ても二十歳そこそこの女の子が…… ――― ※1:プレプリントサーバー……インターネット上で、論文誌に投稿中の論文(プレプリント)を提供しているサーバー。論文誌に投稿してから掲載されるまでには、専門家による査読という手続きがあるため時間がかかることが多く、自然科学の分野ではそれを待たずに研究者たちが論文が読めるように、論文を書いたら投稿と同時にプレプリントサーバーにアップロードして公開するのが常識となっている。
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