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胎動
里井さんの妻が身重だったときのこと。
「あ。いま動いた」
「えっ、ほんと?」
里井さんは緊張と照れくささをないまぜにしつつ、妻のふくらみかけたお腹に掌をあててみるが、妻の呼吸あるいは鼓動の余波しか感じられない。
「まだ、外からはわからないかもね」
と妻は笑った。
そのささやかさを例えて「ぽこぽこ、泡がはじけてるみたい」とも言った。
しだいにいかにも妊婦然とした体型に変化した妻は、その身の重苦しさに表情を歪め、辛さを夫に言い募るようになった。ささやかだった胎動は、いまや妻のあらゆる臓物や骨格を蹴散らかすほど強いものになり、体のあちこちが痛むのだという。
どれどれと里井さんは都度お腹に手をやってみるが、どうもタイミングが悪いらしく、なかなか我が子の動きを感じることができない。
やがて妻は胎動が気になって夜も眠れないと嘆きはじめた。ウトウトしているときに暴れられると、すっかり眠気が失せてしまうらしい。ひととおり暴動がおさまった後も、次の急襲がおそろしく寝付くどころではない。
切々と訴える妻に里井さんはなにもしてやることはできなかった。
とはいえ妻は徐々に慣れてきたようで、短く浅いながらも眠れるようになったらしい。
ときおり夜半に里井さんが目を覚ますと、こちらに背を向けて寝息をたてている妻に気が付く。大きくなったお腹の重みに耐えかねて仰向けの姿勢がとれなくなったという妻は、しばらく前から隣の里井さんに背を向けるかたちで横になるのが定番になっていた。
貴重な眠りを妨げないよう、背後からそっと妻のお腹に手を添える。
すると、掌にグイッと強い打撃がある。
続いて震えるような細かな動き。
変わらず妻は寝息をたてており、眠りは深いようだ。母体が眠っていても、我が子はそれとは関係無しにふるまっているのだ。そのことに里井さんは、感心とも戦慄ともわからぬ衝撃をおぼえたという。
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