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少女は無言で会計を済ませると、無言で出口に向かう。
店員は無言のまま、店を後にする僕たちをただ見詰めていた。
「3回に1回はあんな感じ。おかしなほうの商品はまだ試したことない」
僕も興味はあるが口にする気にまではなれない。
「お小遣い勿体ないしね」
そっちだったか。
アイスを割って渡してくれる少女に、代金を返そうと財布を探る。
「いいよ。この夜でまともな人に出会えた記念」
声が少し上ずっている。この少女も人馴れしないのだと知り、親近感が湧いた。
公園まで歩き、ベンチを見付け腰を下ろすと、とりとめのない話をした。
ふと、チョコレート菓子をつまむ彼女の、パーカーの袖から覗く左手首に巻かれた包帯に気付く。
だけど、この夜の中それに触れるのはふさわしくない。
僕と同じく、彼女もそんな下らない、けれどどうにもならないことを軽くしたくて、夜を歩いていたのだから。
LINE交換くらいは許されるか。そんなことで迷いながら彼女の横顔を眺める。
不意に植え込みから飛び出した影が僕を突き飛ばし、少女を抱きかかえた。
黒々とした毛に覆われた、巨大な猿のようなもの。
老人の顔を持つそれは、淫猥な笑みを浮かべると、そのまま闇の中へ走り去る。
悲鳴は遅れて遠くから響いた。
鳥の群れに追われる以外、異形に襲われずにいたため、慣れ切って油断していた。
夜は本来危険なものだし、行動原理の分からない存在ならなおさらだ。
悲鳴の聞こえた方向へ見当を付けて走る。辿り着いた先は公営住宅だった。
市の公報で読んだ覚えがある。老朽化が進み、入居者も減ったため、取り壊し予定ではなかったか。
ひび割れたコンクリート壁は、修繕される事なく放置されている。灯りの漏れている窓はない。
黒々と開いた入り口あたりに、彼女の靴の片方を見付けた。
時計は3時近くを指している。
頭では一刻も早く踏み込まねばと考えているのに、足がすくんで動けない。
焦燥感に塗れ、じっとりと冷たい汗をかく僕に、声を掛ける者がいた。
「入らないのか? 悲鳴が聞こえたようだが」
落ち着いた、若い男の声。
助かった。普通の人間だ。
そう思い振り返った僕は、奇妙なものを目にした。
この暑いのに黒い二重回しインバネスに山高帽。手には古びた旅行鞄。
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