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この街に着いた当日の夜、古ぼけた木造の宿舎の一室で、しばらくこの街で過ごすための荷ほどきと、家具の位置の調節などをしていた。
テーブルはひとりで動かせるし、クローゼットは動かす必要がない。けれども、入り口入って右手の壁際にあるベッドを、窓のある奥の壁際に移動させたかったので、後輩を呼んでふたりで重いベッドを動かした。
窓際にベッドを置きたい理由は、朝起きるときに光が当たる方が気持ちよく起きられるからだ。寝起きが良いことはそのまま寝付きの良さにも繋がる気がするので、夜にしっかり眠って体力の回復と美容とを狙ってそうしている。
ベッドを窓際に移動させたあと、後輩とテーブルを囲んでワインを開ける。このワインは、こうやって後輩の手を借りる事を見越して、街に着いてすぐに買ってきた物だ。
「先輩、そんなお礼なんていいですよ。
私は後輩ですし、これくらいのお手伝いは当然です」
そう言って、後輩は青白く、けれども大きくてしっかりした手でチェリーブロッサムの様な色の髪を撫でる。まっすぐに切りそろえられた髪を銀色のヘアピンで留めている様からは、彼の真面目さと誠実さが窺える。
「カーミットはすぐそうやって遠慮するんだから。ボクが飲もうって言ってるんだから大人しく飲むの」
カーミットというのが後輩の名前だ。ボクはカーミットのことを名前で呼ぶけれど、彼はボクのことをなかなか名前で呼んでくれない。まぁ、彼は自分より早く歌手になったやつらのことをすべからく『先輩』と呼んでるからそう言う物なのだろう。でも、だからこそボクのことは特別に名前で呼んで欲しいなと思うことはあるけれど。
ふたりでワイングラスを傾けながら話をする。ボクがまず話題にしたのは、ボクを寵愛してくれている貴族のことだった。
「街を出るだいぶ前にルクス様にお手紙送ったのに、お返事来てないんだよね。
まさかボクに飽きたとは思えないし、入れ違いになっちゃったのかなぁ」
「そうですね。ルクス様はそう言った所がきちんとしている方ですし、入れ違いかも知れません。
これから当分ここに居ますし、改めてお手紙を出してみてはいかがでしょう?」
カーミットの言い分はその通りだし、明日にでも手紙を出せば、すぐに返事は来るだろう。
けれども、この街についてすぐにお伺いできなかったことが残念だった。
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