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1時間下り、3時間下り、6時間下り、それでも精児は歩き続けた。
半日が経ち、1日が経ち、3日、1週間、1ヵ月、精児はひたすら歩き続けた。
精児には、それが不思議なこととは思えなかった。
なんの疲労も苦労も感じなかった。
ただただ、こんなことがあるものだなとぼんやりしていた。
歩き続けていると、他にも妙なことが起こった。
地面から雪が染み出してくるのである。
歩くごとに雪が染み出して、こんもりと積もってゆく。
さらに歩き続けていると、今度は雪が空へと帰っていった。
すると落葉に覆われた大地があらわれた。
続いてその落葉が、ひらりはらりと木々に戻る。
戻った葉は、黄色く染まり、そのうち青々と茂りはじめた。
やがて葉も、しぼみ、芽となり、枝となった。
そしてまた大地から雪が染み出してくる。
そんなことが幾度も繰り返された。
それでも精児は山道を下り続けた。
あるとき、川へ行き当たった。
子を抱いた女が川べりに立っている。
なんだか見覚えのある女である。
女は小さなキラキラと光るものを川に投げ入れた。
女は泣きながら拝んでいた。
ここで精児はあることを思い出した。
そうだった。
おれは藤田精児として生まれる以前、妻と子を置いて戦争に行ったのだった。
そしてそこで死んでしまったのだった。
精児は立ち止まった。
女がすごすごと帰っていく。
精児は川に分け入って、いましがた女が投げ入れたもの――指輪を拾った。
間違いない。これはおれが妻に渡したものだ。
精児は山を駆け登った。
下るのには何十年もかかったくせに、登るのは1時間とかからなかった。
山頂手前のあの空地へ足を踏み入れた。
思った通り、バカな自分がすやすやと眠っている。
精児は拾ってきた指輪を、眠っている自分の手の中に収めた。
目が覚めると、精児は手の中に指輪があるのを認めた。
おや? たしかカラスに取られて、尻餅をついたのではなかったか。
と頭が痛むので、どうやら倒れた拍子に頭をぶつけて、気を失っていたらしい。
なにか夢を見ていた気もするが、どうにも思い出せない。
精児は指輪を眺めた。
ふと涙が込み上げてきた。
涙があふれて止まらなくなった。
「ごめんよう、ごめんよう、ごめんよう……」
精児はそこで、大いに泣いた。
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