第1話『妖刀』

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第1話『妖刀』

~ 第1章『逃亡の先に』 ~ 重い。 身体が石のようだ。 ジンタは、微睡(まどろ)みの中で闇を払おうともがいた。 身体が痛い。 (まぶた)が目に張り付いているように開かない。 耳に水の流れる音が入ってくる。 頭と背中が石の(かた)さに触れている。 どうやら、どこかの河原に寝そべっているようだ。 だいぶ意識がハッキリしてきたところで、なんとか目を開けた。 頭上には(がけ)、その更に上には杉林が見える。 「つっ…。」 重い身体をなんとか起こす。 頭に鈍痛(どんつう)がある。 後頭部を打ったようだ。 両手で頭や全身を確認する。 どうやら、頭にも身体にも致命傷(ちめいしょう)はないようだ。 ここはヒガ村の東の崖下にある小川だ。 地形や木の形に見覚えがある。 崖下のためあまり来るところではないが、たまにこの近くで水浴びをすることがある。 今は早朝だろうか。 川面を流れる夏の朝霧(あさぎり)がジンタの身体を包んでいる。 少しづつ状況を飲み込むジンタ。 だがいったい、何が起きたのか…。 ハッ、と恐ろしい()を思い出す。 それは、昨晩の記憶だ。 村が山賊に(おそ)われたのだ。 しかも、見たこともない大きな魔物までいた。 ジンタは夜明け前の深い闇の中、外の異変に気付いて目を覚ました。 寝床に母はいなかった。 村人達が騒ぎ混乱している声が聞こえ、慌てて上着を羽織(はお)り、家を飛び出したのだ。 すると、そこには大きな髭面の(ひげづら)山賊らしき男がひとりいた。 突然に少年が飛び出したことに驚いた山賊だったが、すぐに先が太った棍棒(こんぼう)を横()ぎに(たた)きつけてきた。 武術を習っていたジンタだが、あまりにその攻撃は唐突だった。 なんとか、衝撃(しょうげき)を和らげたものの、体勢を崩して崖から落ちてしまったのだ。 記憶が(よみがえ)り、恐怖感が全身を襲う。 ここにいては危ない。 戻ってもまだ山賊がいるかもしれない。 だが、村にはまだ母がいるはずだ。 ジンタは意を決して崖を迂回して急斜面を登った。 母は、友は、師匠は…。 無事でいて欲しい。 先日、父の葬儀(そうぎ)と送りの法要が終わったばかりだというのに。 思えば父が死んだあの日、異変は始まっていたのかもしれない。 ジンタの中に色々な考えが駆け巡る。 木々に手足をかけながら急斜面を登っていく。 頭は不安で満たされる。 息が切れる。 それでも、痛む身体を(むち)打って坂を登りきった。 大きな岩を回り込み、岩の影から村をそっと(のぞ)いた。 それは異様な光景だった。 村は荒れ、物が散乱(さんらん)し、家々は破壊されてほとんどが倒壊(とうかい)している。 それにも関わらず人の気配がない。 山賊と争ったはずなのに誰も倒れておらず、まるで人だけが忽然(こつぜん)と消えてしまったかのように見えた。 村の奥で動きがあった。 物置に隠れていたと思われる村人の男がひとり、そろりと出てきたのだ。 ジンタはその村人に事情を聞こうと身を乗り出した。 だが、その瞬間、異様な気配が()しかかり、ジンタは身体を硬直させた。 何かが来る…。 ざわざわと村の奥の木々が揺れた。 なんだ…、あれは―。 木の陰から、大きな翼を持った黒いヘビのような爬虫類(はちゅうるい)の魔物が飛翔(ひしょう)した。 伝説の龍に似ていなくもないが、それにしては頭から尾が短く、(みにく)い。 よく見ると、その背には黒いローブのようなものを着た人間が乗っている。 そして、隠れていた村人の上空へと移動した。 そこからの出来事は、ジンタはすぐ飲み込むことができなかった。 その魔物が、村人を攻撃するかと思いきや、違っていた。 そうではなくて、村人の足元の影が急に濃くなった。 その真っ黒な影は小屋ぐらいのサイズになり、村人をその中に()み込んだ。 まるで、地面に吸い込まれるように、村人は水に溺れるかのように暴れながらその闇へと消えた。 そして、スッとその闇が消えた。 物置から別の村人が出来てた。 隠れていたのはふたりだったのだ。 さっきの光景を見たのだろう。 その村人は恐れ(あわ)てふためきながら、ジンタの方向に向かって走った。 しかし、その村人も同様に足元に漆黒(しっこく)の闇の大きな円が現れ、そこに呑み込まれていった。 そして、闇が消えた後には、その村人が暴れたときに飛び出した靴だけが地面に取り残された。 その後、魔物は黒いローブの人間を乗せて南へと去って行った。 そのとき、ジンタの真上を魔物が通り過ぎていった。 それは、今まで見た何よりもおぞましく醜い姿だった。 どれぐらい時間が経っただろうか。 ジンタはそのまま動けずに硬直していた。 ただ、足ががたがたと(ふる)えていた。 ハッとある物が目に入ってきた。 「あれは…!」 ジンタは危険をかえりみず、駆けだした。 そして、村の(すみ)にある我が家の横にまで来た。 これは、母の靴だ。 それにその横にあるのは、母がいつも肌身離さず付けていたブレスレットだ。 「母上!」 よく見ると、横の木箱の(はし)に母の長い髪の毛が小さな(かたまり)になって引っかかっている。 それを手に取ると、間違いなく母の匂いがした。 ここで母もあの村人のように影のような闇に呑み込まれたのだ。 「母上ーー!!」 認めたくない。 嘘であってほしい。 「ガアアアア!!」 頭が真っ白になって叫ぶジンタ。 その場で丸くなり地面に顔を埋めた。 …どれくらい時間が経っただろうか。 そのまま動けずに、ウウウウ…と唸り続けた。 声を止めてしまったら全てを認めてしまう、と思った。 これは事実ではないんだとばかりにジンタは唸った。 だが、感情の荒波はいつまでも(たけ)り続けない。 本人の意志に反して、次第に感情の高まりは(おさ)まりつつあった。 いやだ、いやだ、いやだ…。 (いな)、否、否、否…。 懸命(けんめい)拒絶(きょぜつ)しようと努力する。 だが無情にも、冷静さは事実を正確に認識(にんしき)しつつあった。 そのとき、村の奥から足音がした。 話し声も聞こえてくる。 「なんか、さっき人の声がしたみてえだが?」 「まだ例の闇に呑み込まれてない奴がいるのか?」 ふたり組の男の声だ。 野太い、聞いたことがない声だ。 山賊だ! ジンタは一気に恐怖心に包まれた。 それと共に、自らの身を焼くような怒りがこみ上げてくる。 手足は冷たくなりワナワナと震えだす。 頭に血が上り、呼吸が浅くなる。 ジンタは丸くなっていた身体を動かし、木箱の横の地面に手を着いた。 そのとき、カチャ…と手に何かが触れた。 何だ。 それは、一本の刀だった。 鞘に収められた長い刀。 鯉口(こいぐち)には(やしろ)で見るような、封印(ふういん)の紙が巻かれている。 「なぜ、これがここにある…?」 ジンタはこの刀を知っていた。 村の秘密の(ほら)厳重(げんじゅう)に保管された、村人も知る者は少ない宝刀。 ジンタはおよそ一カ月前、村長からこの刀を友のコウと共に生涯(しょうがい)に渡って隠し管理するように言われていた。 村長は言った。 「この刀だけは絶対に村の外に出してはならん。 ましてや、抜くことは決してあってはならん。 命に代えても封じるのだ。」 また、あるときは村長はこうも言っていた。 「刃は本来、己を絶つときに使うものだ。 人を斬る前に、まずは己を斬れ。」 …と。 山賊達がジンタを見つけた。 「生き残りか!」 「おい、そこのガキ!」 ふたりはジンタにずんずんと歩み寄ってきた。 ジンタの中から恐怖と怒りが噴出した。 村を、母上を! よくも…、よくも! ジンタは刀を拾い上げて封印(ふだ)を解いた。 その瞬間、ジンタの心が大きく暴れだした。 それを抜いてはダメだ! ()れ、復讐(ふくしゅう)をしろ! 封じなければいけない刀だ! 離せ、消せ、(こば)め、…殺せ! まるで心がふたつに割れてしまったようだ。 頭がおかしくなりそうだ。 だが、結局ジンタは(つか)(にぎ)って、震える手で刀を(さや)から抜いた。 シャアアア、という乾いた金属音が響く。 青白い(あで)やかな刀身が現れた。 それは美しく、(あや)しい光を放っている。 ジンタの全身に、寒気のようなゾクゾクとした身震いが駆け抜けた。 「おい、それは!」 「例のお宝か! そいつを渡せ!」 山賊ふたりは駆け寄ってきた。 ジンタの息が上がる。 今まで木刀は武術稽古(けいこ)で振り続けてきた。 だが、真剣ははじめてだ。 頭に血が上り、手の震えは大きくなるばかりだ。 それを振ってはいけない! 斬れ、楽になれる、復讐するのだ! ふたつの思考は内なる叫びに変わっていた。 ザ…、と刀を構えるジンタ。 奴らに来るな、といいたかったのだ。 まずは威嚇(いかく)のつもりだった。 そのとき、足に何かが触れた。 ふと足元を見るジンタ。 それは、母のブレスレットだった。 「アアアア!!」 ジンタが狂い叫んだ。 柄を両手で(つか)んで走り出すジンタ。 刀身の先端は地を()い、地面に細い線を残した。 「こいつ!」 ふたりの山賊も武器を構える。 だが、ジンタの訓練された武術の方が勝っていた。 ジンタは刀を切り上げた。 「ぎゃあああ!」 ほとんど無抵抗にひとりの男は斬られ、ふたり目も対応する間もなく、袈裟懸(けさが)けで斬られた。 それは恐ろしい切れ味で、服も肉も骨も関係なく、ふたりを()いた。 ふたりは身体を真っ二つ割られ、倒れた。 斬れば楽になると思っていたジンタだったが、逆だった。 息はますます上がり、呼吸困難に(おちい)った。 全身がガタガタと震える。 あまりの異常な殺傷力に両手が刀を拒絶する。 この妖刀はやはり使ってはいけない物だったのだ。 手を離れた刀はサクッと地面に突き刺さった。 ジンタはその場に倒れた。 周囲がぐるぐると回転している。 猛烈(もうれつ)な吐き気に襲われる。 意識が遠退(とうの)き、闇が迫ってくる。 そして、山からの冷気と(もや)がジンタの身体を包んだ。  ◇ ◇ ◇ ジンタは眩しさに目を覚ました。 大陽が中天に差しかかっている。 崩されたどこかの家が火を出したのか、焼け焦げた臭いが鼻を()く。 見ると、一筋の煙が細く天に向かって伸びていた。 慌てて身体を起こすジンタ。 見ると、少年の横に身体をぱっくりと引き裂かれたふたりの男の亡骸(なきがら)があった。 「わああ!」 ジンタは、手をついたままのポーズで後ずさった。 心臓が暴れている。 喉から飛び出しそうだ。 手足がガタガタと震えている。 視界の隅に、妖しく青白い光を発する鋭利な線が見える。 そちらを向くと、あの妖刀が地面に突き刺さっていた。 封印札が、地面でパタパタと風に揺れている。 ジンタに自責の念が押し寄せる。 自分は(おきて)を破ってしまった。 刀を抜き、人間を斬り殺してしまった。 少年は、頭を抱えてうずくまった。 村の奥でまた物音がした。 ビクリと反応するジンタ。 そうだ、また山賊がやってくるかもしれない。 少年は震えながらも、刀の柄を握り、刀身を服で(ぬぐ)って鞘に収めた。 ジンタの中で冷笑がした。 どうせみんな死んだんだ。 掟を破ったなんて、バレやしない。 それより、復讐(ふくしゅう)をしたんだ。 母の、みんなの無念を晴らしたんだ…。 そんな自分の中の声に怖ろしくなり、ジンタは首をぶんぶんと振った。 また物音がした。 ズルズルという、何か大きな物が動く音だ。 魔物。 ジンタはあの村人を呑み込んだ、巨大な飛ぶ爬虫類の魔物を思い出した。 大きな恐怖感がジンタの背中を走る。 辺りを見回す。 村は荒れ、家々が倒壊している。 まるで地獄にぽつんと立たされているような錯覚(さっかく)が襲ってくる。 喉をギュウと締め付けられるような感覚が走り、ジンタは恐怖に飲み込まれた。 頭は混沌(こんとん)(おちい)り、真っ白になる。 逃げなくては! そう全身が叫んでいる。 ズズズ、と何かが這うような物音が再びした。 「…!」 全身に強い緊張が走る。 声にならぬ息を()らして、ジンタは刀を持って走り出した。 無我夢中で逃げるジンタ。 視界は流れる映像が暴れ、耳はゴウゴウと音を立てて混乱し、全身から汗が噴き出る。 村の結界門を抜け、林道に出た。 道の脇にあった岩が魔物のように見えて、再び混沌に陥る。 心のどこかで、落ち着け、落ち着け、と叫んでいる自分がいるが、恐怖に満たされた心はその声を簡単に消してしまう。 道から外れて、杉林の中に突っ込む。 振り向いたら最後、迫り来る魔物と山賊に襲われる、という強迫観念(きょうはくかんねん)()りつかれる。 息が上がり、呼吸が苦しくなる。 林の落ち(くぼ)んだ場所に小川があり、その脇の身を隠せそうな場所を見つけたジンタは、そこにぶつかるように逃げ込んだ。 ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…。 なんとか呼吸を落ち着かせる。 刀を抱え込んで、恐怖を払いのけようと努力する。 呼吸が落ち着いてくると、少し気分も落ち着いてきた。 とりあえず、村からは離れることができた。 周囲に魔物も山賊はいなさそうだ。 まずは安全である、と自分に言い聞かせた。 なぜ、村があんなことになったのか。 自分以外に生き残りはいないのか。 さまざまな疑問と不安が心を満たした。 山賊の残党はこの刀を探しているようだった。 村長の“命に代えても封じるのだ”という言葉を思い出す。 掟は破ってしまったが、人の手に渡すわけにはいかない。 冷静にならなくては。 ジンタは自分に言い聞かせ、とにかく下山することにした。 ジンタの知る限り、この近隣に村はない。 ヒガ村しか知らないし、出たことはないが、そう大人からは教わっている。 だが、下には小さな集落はあると亡き父から聞いていた。 まずはそこに行こう。 そして、助けを求めるのだ。 ジンタは再び歩き出した。 山賊が歩かなそうな、この小川沿いを歩くことにした。 妖刀(ようとう)は持っていた(ひも)で背中に(くく)り付けた。 食料もない。 早いところ集落に着かなくては。 小川沿いを歩きながらも林道の位置を確認しながら下っていった。 集落に行くのに、山に深く入ってしまっては迷ってしまう。 人の痕跡(こんせき)は見失わないようにする必要がある。 日が暮れるまでには、なんとか集落に着かなくてはならない。 ジンタは急いで歩を進めた。 この山奥でも、歩けば夏の暑さで汗が噴き出してくる。 ときおり、川沿いの湧き水を飲みながらひたすら歩いた。 2時間ほど歩いたところで、休憩を入れることにした。 もう足が棒のようだ。 それに、この昼食時に空腹が辛い。 食べたものといえば、道端で見つけた小さな果実のみ。 腹には溜まらない。 身を隠せるところに腰を下ろした。 風が汗ばんだ肌に心地良い。 悲鳴を上げていた足が緩む。 身体は、空腹を除けば休息により楽になる。 だが、そうすると心が乱れた。 感情が荒れ、怒りと悲しみと恐怖に襲われる。 不安と後悔の念が頭を暴れ、髪をかきむしりたくなる。 今はとにかく身体を休め、一刻も早く先に進まなくては。 そう自分に言い聞かせる。 乱れる心に()えながら座り続けていたら、それでも身体は休まってきた。 そろそろまた歩こう、と立ち上がろうとしたその瞬間、人の声を耳が(とら)えた。 山賊!? 一気に緊張感が高まって、ジンタは更に耳を澄ませた。 たまに、ボソボソと声だけが聞こえる。 どうやらその声の主もどこかに隠れているようだ。 声質から(さっ)するに、大人ではないように聞こえる。 ジンタは少しだけ緊張を解いて、だが慎重に忍び足でその声に近づいた。 「さっきの足音、気のせいだったんじゃないの。」 「そうだったのかな…。」 「どっちにしても、ずっとここにいるわけにはいかないだろ。」 「そうだけど…。」 ヒソヒソ話している内容が聞こえる。 「仕方ない、ルー、隠れながら進もうぜ…。」 ジンタは驚いた。 ルー! もうひとりの声の主は、きっと同じく村の親友、タジキだ! 「タジキ! ルー!」 ジンタは(ささや)き声で小さく叫んだ。 「え!?」 前方に、バッと立ち上がるふたりが見えた。 間違いない、ルーとタジキだ。 生きていたんだ。 「ジンタ!」 駆け寄る3人。 「良かった! 良かった!」 そして、お互いの無事を喜んだ。 ルーは、背丈はジンタよりも低い整った顔の少女で、知的で印象的な大きな目をしている。 肩まである美しい黒髪は少しカールしており、品位の高さをうかがわせる。 村長の娘で、頭の良さは大人も顔負けだ。 タジキは、ジンタと同じぐらいの背丈の細身の少年で、明るい目をした快活な性格の持ち主。 (くせ)のある頭髪は、やや茶色みを帯びており、低い鼻がこの地域の若者であることを物語っている。 特に特技のない少年だが、場を明るくするムードメーカーだ。 ジンタは14歳でルーとタジキは13。 3人はヒガ村の数少ない同年代の友達だ。 あと同年代といえば16歳のコウがいるが、残念ながら一緒ではないらしい。 「良かった! ジンタが生きていて!」 ルーは感極(かんきわ)まって涙を流した。 「よっしゃ! 少し希望が出てきた!」 タジキも珍しく涙ぐんでジンタの腕に自分の腕をぶつけた。 そして、3人はお互いに今までのことを話した。 村は、昨日の深夜に突然山賊に襲われたらしい。 だが、単なる山賊ではない。 大きな魔物を4体も引き連れていたようだ。 そのうち1体はジンタも見た飛ぶ化け物トカゲのことのようだ。 山賊は20人以上が一気に攻めてきたようだ。 統制のとれた動きで、およそ山賊らしからぬ行動力だった。 一瞬で村中の家が破壊され、次々と村人が例の闇の魔術に呑まれてしまった。 ルーもタジキも、村人が地面に現れた大きな黒い闇に呑み込まれる場面を見ているという。 いち早く異変を察知(さっち)したルーの父親、つまり村長が、タジキの父親にふたりを(たく)して逃した。 だが、残念ながらタジキの父親は村の出口に待ち構えていた山賊にやられてしまった。 それでも、タジキの父親の必死の抵抗で、ルーとタジキは運良く逃げ延びることができた。 ふたりは、ジンタと同じく山の下の集落に助けを求めに向かっている最中だとのことだった。 ジンタから今朝の村の様子を聞いたふたりは、(くや)しさと悲しさに涙した。 ジンタも母のことを思い出して悔し涙を流した。 「くそう、あの賊ども! 俺達の村をむちゃくちゃにしやがって!」 「許せねえ!」 ジンタとタジキが感情を荒げる。 ゴッ、と座っている石を殴るタジキ。 タジキもきっと自らの父親が目の前で殺された瞬間を思い出しているのだ。 悔しいのはわかる、わかるけど今はこんなことをしている場合じゃない、とルーは思った。 が、自らの溢れる涙をも制すことができない今のルーにはどうすることもできなかった。 そのとき、ドーンという大きな音がした。 位置はわからないが、おそらく山の上の方だ。 しかし、さほど遠くない距離のように聞こえた。 ざわざわざわと風が針葉樹を揺らし、鳥達はギャーギャーと鳴きながら去った。 3人はビクリと身体を震わせ、丸くなった。 怒りは消え去り、恐怖が彼らの心に侵入してきた。 このような音は今までに聞いたことがない。 それになんだ、この異様な気配は。 ジンタの心には、あの魔物の姿が浮かんでいた。 「とにかく、早く下の集落に行きましょ。 日が暮れたら歩けなくなっちゃうわ。」 ルーは恐ろしさを振り払ってそう言った。 同意するジンタとタジキ。 そろりと立ち上がって、3人は歩き出した。 そのときタジキは、ちらりとジンタを見て、 「頼むぜ、英雄…。」 と小さく呟いた。 ジンタはその言葉が自分の中にスッと入って来ず、収まりの悪さを感じた。 武道が苦手なタジキからしたら自分は英雄なんだろうか。 タジキが自分をそういう風に見ていたなんて…。 いや、違う。 そこに違和感を感じたわけではない…。 この状況において、自分にとっての英雄は、兄貴分のコウや師匠のような、才知があり力や技がある人だ。 自分のような何の特徴もない奴では、ない。 ジンタの胸がちくりと痛んだ。 だけど、年下のふたりを守らなくては。 同時にそうもジンタは思った。 ルーやタジキはほとんど何も装備していない。 服こそ外出に耐えられるものだが、決して身を守る力は高くない。 まだ夏で良かった。 これが冬だったら、この薄着では凍え死んでしまう。 また、武器といえるものは唯一ジンタの刀のみだ。 ルーはジンタの刀に気付いているようだったが何も言わなかった。 村長の娘であるルーはこの刀のことは知っているはずだが…。 ともかく、木刀ではあるが武術稽古は受けてきたのだ。 今、このふたりを守れるのはこの刀だけだし、それを扱えるのは自分だけだ。 ジンタはこの刀でふたりを守ることを決意した。
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