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第2話『初戦』
林道から大きく外れ、川沿いを3人は下っていた。
ルーは集落の場所を知っているという。
「行ったことはないけど、この川の下流に小さな集落があるはず。」
とルーは言った。
今はそれを信じて進むしかない。
小川は周囲の支流を束ね、幅広の河川へとなっていた。
3人はここまで下流は来たことがない。
村の子供は村の結界から無断で外出することを禁じられていた。
また、大人が同伴したとしても結界外に子供を連れ歩くことを村人達はしなかった。
河原も拡大し、歩くのが容易になってきた。
白く丸い石が足の下でジャリジャリと音を立てる。
なるべく足音も立てたくなかった3人だったが、ここでそれは無理だった。
3人は空腹にあえいでいた。
朝から食べたのといえば、果実と水ぐらい。
腹に力が入るようなものは食べられていない。
ルーは、茹でるなり焼くなりすれば食べることができる植物を手にしていたが、肝心の火を熾すことができない。
「うー。
腹減ったあ…。」
「ちょっと、そんなのはみんな同じよ。
わざわざ言わないで。
ほら、まっすぐ歩く!」
空腹のアピールとしてわざとふらつきながら歩くタジキをルーはたしなめた。
その後ろをジンタがついて行く。
ジンタは、タジキなりに場を和ませようとしているんじゃないかと思った。
タジキはそういう奴だ。
今はそれに乗ってやれるだけの余裕はないが。
突然、後方で石が崩れるような、ガラガラという音がした。
「!!」
異様な気配に振り返ると、巨大なトカゲの魔物が川を下ってきていた。
村で見た飛ぶ奴とは違う、太い胴体を地面に這わせ、4本の小さい足が横から伸びている。
黒い体表面は鱗にびっしりと覆われていて、いかにも頑丈そうだ。
凶暴な目が3人を睨みつけている。
ジンタ達の臭いを追っているのだ。
「逃げろ!」
叫ぶジンタ。
恐怖を味わう間もなく、3人は混沌の中走りだした。
しかし、歩きやすい河原は走りやすいわけではなかった。
白い丸石は足の下を滑り、うまく踏ん張ることができない。
滑る足が、遅れて心を恐怖で満たしていく。
巨大トカゲは思ったよりも高速に移動した。
ずんずんと3人との距離を縮める。
このままでは追いつかれる。
「いてっ!」
そのとき、タジキが足をくじいた。
「えっ!?」
一緒に走っていたルーが減速し、タジキを支える。
タジキが痛みに耐えている。
なんとか歩くことはできるようだが、走るのは無理だ。
「森に逃げろ!
あいつは俺がひきつける!」
ジンタはとっさにそう叫んだ。
3人食われるよりは、ひとりの方がいい。
それに、武器を持っているのは自分だけだ。
「でも!」
ルーがそう叫ぶが、ジンタは無視した。
ジンタは河川中央の水の流れに沿って進路を変えた。
そして、振り返り、巨大トカゲに向かい合った。
高速で接近してくる魔物。
狙い通り、ジンタを標的としている。
いまさらながら、ジンタは金縛りのような恐怖に襲われた。
巨大トカゲは、ジンタの4倍はある身体の大きさで、伝説の龍を連想させる。
しかしそれは地を這っていて、巨体がいかにも重く、横に幅広い。
とても飛ぶことなどできないだろう。
凶暴な目つきをしており、今まで見たどの魔物よりも凶悪な存在だ。
全身は鱗で覆われており、太陽光を反射させていた。
ジンタの手足が震え、身体が硬直する。
自ら囮となったことを心底後悔する。
本当にこの世の生き物なのか。
こんな奴は到底倒せない。
何が、ふたりを守る、か。
単に格好をつけたかっただけじゃないか…。
巨大トカゲが突進してくる。
食われる!
そう思った瞬間、背中が電撃に打たれたかのように痛んだ。
「ぐぁっ!」
ジンタが痛みにのけ反った。
これが、ジンタを助けた。
ジンタの体勢は、右足を後方に移して身体を斜めに大きく流す形になった。
巨大トカゲはジンタの右腕に食いかかったが、わずかなところで食らいつくのに失敗した。
しかし、突進の強烈な力は全身に直接伝わって、ジンタは左後方に吹っ飛ばされた。
ジャラララッという、ジンタが背中で河原を滑る石擦れ音と、巨大トカゲが勢いを制している音がした。
ジンタは幸い頭を打たなかったが、肩や背中が河原の石と擦れて出血した。
しかし、大部分は刀の頑丈な鞘に守られ、致命傷は避けられた。
また、右腕がわずかに食いつかれていて、袖が千切れている。
なんとか立ち上がったジンタだったが、肩からの血が右腕を伝って足元に滴った。
「ジンタ!
逃げてー!」
遠くでルーの叫び声が聞こえる。
しかし、ジンタはその声を避けるように背中に括り付けてある刀の柄を握った。
確かに、逃げるのが最善かもしれない。
いや、逃げるだって!?
俺にはこれがあるんだ!
ジンタの心が昂った。
ジンタは鞘から刀を抜いた。
シャアアアと乾いた音がして、刀身が妖しく輝いた。
1.2メートルもある刀を構えるジンタ。
すると、自身も大きくなったように感じた。
そのとき、唐突にジンタの脳裏に母の残された靴や髪の毛、ブレスレットが浮かんだ。
爆発するように、感情の荒波が襲う。
ハッ、ハッ、ハッ…!
息を荒げるジンタ。
意識が混濁し、吐き気がする。
乱れる心は次第に殺意に塗り替えられ、全身が身震いする。
ルーが再び何か叫んだ気がするが、耳に届かない。
巨大トカゲが再び突進してきた。
巨体からは想像しえない速さで迫ってくる。
瞬く間にその距離は半分になっていた。
衝突前に巨大トカゲは大きな口を開けて食らいついてきた。
ジンタは右横跳びをしながら、左下に刀を構える。
瞬間、魔物はそのジンタの行動に対応し、口を閉じての体当たりをしてきた。
衝突に合わせて刀を振り上げるジンタ。
刀は大きな顎をスパッと裂く。
が、あまりに相手が大きすぎた。
致命傷を与えられずに、ジンタは衝突を受け、身体を右後方に弾かれた。
刀と身体が空中に放たれ、ジンタは一回転して左肩から地面に落ちた。
弾かれた刀はジンタの横に落ち、カランカランという乾いた音を発した。
「くっ…!」
左肩と腰、側頭部を打ったジンタは痛みにあえいだ。
ギンギンとした痛みに串刺しにされた錯覚にとらわれた。
身体はもう動くなと言っている。
それでも、震える手を抑え全身の力をふり絞り、なんとか起き上がる。
あの刀でも攻撃が通じなかった。
自分で原因はわかっている。
刀はあの魔物の鱗を裂いた。
力がないのは、刀ではない。
自分だ。
もとより、今まで習ってきた武術は人が相手であることを想定している。
あのような巨大な生き物ではない。
ましてや、魔性に憑りつかれた獣の類を相手にすることは範疇にはない。
ジンタは、少しでもこの刀さえあれば敵なしのように感じていた自分を恥じた。
やはり、格好をつけてただけだ。
コウとの試合に一度勝ったぐらいで思いあがるな、という師匠の声が聞こえてきそうだ。
ジンタはなんとか刀を拾った。
それはとても重く、既に握力は限界に達しつつあることを物語っている。
刀身にジンタ自身の血が伝い流れる。
意識が朦朧としてくる。
もう立っているのがやっとだ。
巨大トカゲが3度目の突進の準備をしている。
顎の傷はそれなりに深かったが、鈍感なのか痛覚がないのか、攻撃の勢いを落とせるものではなさそうだ。
ジンタの心が叫ぶ。
食われるのは、嫌だ…!
助けてくれ…!
全身の痛みからか、恐怖からか、ジンタは反射的に心の底から助けを求めていた。
そのとき、ふと、先の林の中でのタジキの言葉が脳裏をよぎった。
“英雄”…。
ジンタは今、求めていた。
コウのような才能を。
師匠のような力と技を。
英雄を。
だけど、俺は…。
俺には、そんな力は、…ない。
ジンタの胸がぐさりと痛んだ。
ジョリッ、と巨大トカゲの足が地面に食い込む音がし、突撃の体勢に入ったのがわかった。
敵意ある鋭い目がこちらに狙いを定め、その下の裂けたような口はジンタを丸呑みしようと牙をむいているように見えた。
来る…!
食われる!
そうジンタが思ったとき、予想外のことが起きた。
ジンタの身の横でザっと音がした。
そして、大きな手がジンタの肩に乗った。
驚いて見ると、そこに大男が立っていた。
山賊…!
ジンタは戦慄した。
全身に悪寒が走って、冷や汗が噴き出た。
だが大男は、
「あいつは俺に任せろ。」
ときっぱりと言い放った。
ジンタは突然のその一言にあっけにとられ、硬直した。
見たことのない男だ。
しかし、その全身を包む筋肉と、迷いのない顔からは自信が溢れている。
全身から湧き出す闘気は凄まじい圧を持っており、それだけで巨大トカゲを跳ね返しそうだ。
ジンタは男を見て本能的に感じとった。
この男は、数々の戦いを潜り抜けてきた豪傑なんだ。
そして、こういう人が英雄なんだ、…と。
身体を覆う見たこともないような筋肉の量は、服を大きく隆起させている。
腕は脚のように太く、肩には頭が乗っているかのような山を作っている。
逞しい手は師匠のそれよりもはるかに大きい。
見上げると、真昼の大陽が男の背後にまわり、あたかも男自身が輝いているように演出した。
それは、まさに英雄を想起させる絵だった。
巨大トカゲはもはやジンタの方を見ていなかった。
その大男をターゲットにし、彼に敵意を向けている。
魔物は走り出した。
一直線にこちらに向かってきている。
それに合わせて、大男も真っすぐに走った。
驚くようなスピードで距離を縮めながら、腰から木の棒のような武器を抜いた。
巨大トカゲが大男に衝突する。
だが、その大きなエネルギーは大男に伝わらず、自らに跳ね返った。
ドゴッ、という強く鈍い衝撃音がした。
大男がわずかに跳躍し、回転しながら敵を殴ったのだ。
そこから、ドンッ、ダンッ、ゴッという衝撃音がし、男が敵に連続攻撃を浴びせた。
巨大トカゲはその攻撃を回避できずにビクン、ビクンと跳ね、痙攣し、そして動かなくなった。
しばらくして、魔物の裂けた口からはどす黒い血の混じった泡が溢れ出た。
巨大トカゲはものの数秒で倒された。
それはあまりにあっけなく、にわかに信じがたい光景だった。
男の戦闘力は、明らかにコウや師匠を大きく上回っている。
大男がくるりとひるがえって、ジンタのところに戻ってきた。
「大丈夫か!?
そうとうひどくやられたようだが…」
ジンタは突然気が抜けて、手から刀を落とした。
サクッと地面の石と石の間に刀が刺さる。
「おっと。
あぶなっ。」
大男が片足を上げた。
ジンタは力が抜けて膝からぐらりと崩れそうになった。
そこを大男が脇からがしっと掴んで、ジンタを支えた。
ジンタは身体が冷たくなって、ガタガタと震えだした。
◇ ◇ ◇
ジンタは大男に運ばれて、河原の端の木陰に寝かされた。
大男の処置で出血は止まったが打撲が酷い。
コルトに同伴していた女性が、ジンタに水と握り飯のようなものを急いで食べさせた。
女性はレベナと名乗った。
レベナは、村の人間とは全く違う顔つきをしており、書物で見た南国の人々の顔つきを彷彿とさせる。
また、この地域の人よりは肌の色が濃く、髪は赤い。
背がすらりと高く、コルトよりもだいぶ年上に見えた。
そして、大きな目と口でジンタに優しく微笑んだ。
食物を摂ると、ジンタの意識がしっかりして来て、震えも止まった。
同時に全身に痛みが襲ってきて、ジンタは顔を歪めた。
レベナは、
「コルト、私はふたりを呼んでくるわ。」
と言ってどこかに去った。
コルトと呼ばれた大男は先ほどの現場に戻っていた。
刀を拾うと、太い腕で無邪気にそれをブンブン振りながら戻ってきた。
「こいつは、ずいぶん見事な剣だな。
全く刃こぼれしてないのは驚きだ。」
コルトは刀身をまじまじと見た。
「もしかして、この金属は―」
ジンタが痛む身体を起こしながらコルトの言葉を遮る。
「それを持たない方がいい!
心が乱される!」
自らの体験からそう忠告した。
しかしコルトはきょとんとしている。
「これがかあ?
…うーん?」
コルトは首をかしげたが、ジンタの真剣な目を見て、
「大事なものみたいだな。
悪かった、ほら返すよ。」
と言ってジンタに刀を返した。
本当にこの男には全く平気のようだ。
ジンタは刀身を拭って、鞘に収めた。
コルトはしゃがみ、ぬっと愛嬌のある丸顔を突き出して、くりんとした目でジンタを見た。
「ずいぶんひどくやられたな。」
「ええ。
すいません、助かりました…。」
さっきは逆光で見えなかったが、コルトの顔には親近感があった。
この地域に近い人間のようで、ヒガ村にもいそうな顔つきだった。
黒い短髪の下は丸い童顔で目がくりっとしており、優しさと明るさがにじみ出ている。
この顔つきだけは、英雄という言葉からは少し離れているかもしれない。
「あれは?」
ジンタはぴくりともしない巨大トカゲを指さす。
「ああ、あの岩竜はもうやっつけたから大丈夫だ。」
男はそう軽々しく言った。
どうやら、あれがどんな魔物かなども把握している口振りだ。
「どこから来た?」
「ヒガという山奥の村からです。
村は山賊に襲われて焼かれました。」
コルトが気の毒そうな顔をした。
ハの字になった太い眉が彼の同情と人柄を示している。
「大変だったな…。
お前達は俺らが安全な所に連れてってやるよ。」
と言って、コルトはニコリと笑った。
しばらくして、レベナが戻ってきた。
「ジンタ!」
ルーの声だ。
ルーとタジキが駆けてくる。
「ジンタ!
無事で良かった!」
ルーが叫んだ。
駆け寄ってきたルーは、ジンタに抱きついた。
「いてっ!」
ジンタが傷に触れられて苦い顔をする。
先の戦闘中にふたりを見つけたレベナは、コルトが戦闘に介入する前にふたりを安全な場所に避難させていたようだ。
タジキがジンタの刀を好奇な目で見る。
「そんな刀、お前んちにあったっけ?」
「ああ、これは、家の横に落ちてたんで持ってきたんだ。」
タジキは村の隠し財宝であるこの刀については知らないはずだ。
多少、白を切った返答だが、嘘ではない。
「あんなでかい魔物、タジキ、知っているか?」
ジンタが話題を逸らす。
「いや?
あんなの見たことないね。
この辺の動物で一番大きいのは熊か獅子ぐらいだろ。
あいつは、熊の3倍はあるように見えるね。」
「そうだな…。」
ルーも首を横に振って知らないと言っている。
様々なまじないで守られているはずの村の突然の夜襲。
そして、見たこともない魔物…。
何かの異変が、この地域に訪れているとジンタは感じた。
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