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――こんな所で油を売っている場合ではなかった。私はそれを思い出し、再び駆け出した。
すると、ふと目の前が陰った。勿論夜道なので目の前は既に暗かったのだが、まるで目の前に人がいるような、そんな暗さを感じた。
人とぶつかりかけたのだろうか、と思い私は目の前にいるであろう人物を見る。
「あ、すみません……」
そう言って顔を上げたものの、そこには誰もいなかった。
気のせい、なのだろうか。甚だ疑問は残るところだが、まぁいい。私は気に留めることなくまた歩き出――そうとしたが、行く手を阻む何かにぶつかった。
今度こそ人にぶつかってしまったのか、私は再び「すみません」と謝り、頭を下げた。
「あ、こっちこそすいません」
地の底から響いているような、しかしどこか不自然で、まるで機械の声のような、なんとも形容し難い声が聞こえてきた。訛りを感じるので、きっとどこか別の県の人なのだろう。
声の低さからするに、きっとこの人は男の人だろうと思い、私はその人を見上げる。
そして、思わず息を呑んだ。
「なんせ月のない、しかも雨降りやから外に出ようと思ったんやけど、外出ること自体久々やから、生き人か死人か、見分けがつかんかったんやて」
そう言って笑う、口が耳元まで裂けた男。歳は大体20かそこらだろうか。パッと見は大学生か社会人何年目かくらいだ。
眼球は取れるか取れないかくらいの、かろうじて神経がつなぎ止めている状態だった。ちょっとの衝撃できっと目は落ちてしまうだろう。
――つきのないよるは、きをつけて。あいつは、つきのないよるをこのむから。
――きょうは、あめふりだ。あいつは、あめふりのよるをこのむんだ。だから、すっごくきをつけて。
カラスの言っていたことが脳内で繰り返し再生された。
「でも良かった、久々に会ったのが生き人で。オレも鬱憤が溜まっとったからなぁ。たぁっぷり、じぃっくり時間をかけてなぶり殺したるわ」
裂けている口を更に歪ませて、彼はポケットからナイフを取り出した。明かりはほとんどなく、反射する光すらないはずなのに、そのナイフは暗くキラリと輝いた。
「……い、いやっ!」
私は駆け出した。先程よりも速く。
自分でも驚くくらいに、私は全力疾走した。
後ろからは、そんな私を嗤いながら、私を追いかけてくる靴音が響いていた。
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