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距離にして五十メートルばかり。それを三分の二程進んだ頃だ。
神社に植えられている木々にへばりつき、これでもかと鳴り響いていた蝉達の声が止んだ。
突然消えた蝉しぐれに、やけに世界が静かになる。でもまだ音は聞こえる。鳥の声だ。
蝉が鳴き止んだため、さっきまで消され気味だった鳥のさえずりがやたらと四方に響いた。けれどそれも束の間で、すぐに鳥の声も消えた。
生き物達がこぞって気配を消したような静寂の中、微かな風に木立が揺れる。その、妙に耳を打つざわめきさえが静まっていく。
こんなにも明るい真夏の昼時だというのに、周囲には何一つ物音がしない。その異常さが意識内の祖母の言葉を際立たせた。
教えられた言葉に従ってきつく目を閉ざし、それでも足りぬとばかりに顔を伏せた。その体勢で固まる俺の体にいきなり強い風が吹きつけた。
足元が揺らぐ程の突風だったが、歯を食い縛って踏ん張った。
揺れる、揺れる、揺さぶられる。それでも耐え続けているとやがて風は収まった。
安堵が胸に沸き、俺はほぅと息を吐いた。顔を上げ、目を開こうと…その時、祖母の言葉の最後の一句が甦った。
『辺りに音が戻るまで、決して目は開けぬこと』
…まだだ。
耳には何の音も入ってこない。世界にはまだ音がない。このタイミングで目を開けてはいけない。
上げた顔をもう一度伏せ、きつく目を閉じ直す。
それと同時に、体に強い圧迫感がもたらされた。
見えない何かが四方八方から全身を押してくるような感覚。痛みはないが、力の強さに足元がふらつく。
時間にして僅か二、三秒。ふいに圧力は消え、俺はその場に尻もちをついた。
呆然としている意識に外から音が流れ込んでくる。
蝉の声、鳥のさえずり、木々の揺れ…世界に音が戻った!
喜びに近い感情のままに目を開く。その勢いで周囲を見回す。
異常は何もない。さっきまで目にしていたままの風景だ。
今度こそ心からの安堵を覚え、俺はがくりと全身の力を抜いた。脱力感が薄れるまでその場にへたり込み、やっと気を取り直したところで立ち上がる。
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