第1章

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「すごいマジックってどういうものだと思います?」  バーのカウンター。少し離れて座っている若い男が言った。  名前はうろ覚えだが、顔は知っている。会社帰りによく寄るバーだからだ。この数年、ここで一、二杯飲むのが、オンからオフへ切り替えるための、儀式のようなものになっている。 「そうだね、やっぱり巨大なものを移動させてしまうやつかな。東京タワーやエッフェル塔を一瞬にして消してしまうマジックがあるでしょ。アレなんかはすごいんじゃないの」  ぼくは彼の話を受け止めた。一人で黙って飲みたいとき、誰かと少し話したいときがあるのだが、この日は話相手が欲しかった。  男はうっすらと笑みを浮かべて、 「あんなの誰でもできますよ。カメラの使い方をちょっと工夫すればね」 「へえ、そうなんだ。じゃあ、きみがいうすごいマジックっていうのはどういうものなんだろう?」 「相手に気づかれないようなマジックです」 「それじゃ、マジックとして成立しないだろう」 「ちょっと時間がたってから気がつくんです」 「ふ~ん、たとえば……」 「知りたいですか?」 「ああ、知りたいね」 「じゃあ、明日、お見せしましょう。あっ、ちなみにぼくの名前は北村です」  翌日は土曜日で会社も休みだった。どうせ家で寝てるだけなので、いい暇つぶしになる。北村が指定した場所は、人気のないビルの屋上だった。 「どんなマジックなの?」  と北村の顔を見るなり、ぼくは言う。 「瞬間移動です」 「すごいな」  とすこしおおげさに驚いてみせた。一つは自分自身の気持ちを高めるため、もう一つは北村へのサービスの気持ちから。  ちょっと失礼します、と北村は言い、ぼくに目隠しをする。  いいぞ、盛り上がってきたぞ。 「わたしも一緒に移動しますので、手をつないでください」  言われるままに北村と手をつなぐ。 「それじゃいきますよ」 「オーケー」 「着きました」  時間にしたら三秒もないだろう。 「じゃあ、目隠しを外してください」  屋上の風景がひろがる。何も変わっていない。誰かが放置した、サビついたこども用の三輪車も前のままだ。 「失敗したかな?」  ぼくは苦笑いを浮かべながら尋ねる。 「いえ、成功です。今に分かりますよ」  北村はニヤリと笑うとその場から立ち去った。  いったいあれはなんだったのだろう。
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