ケーキを二つ

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 バターの溶ける甘い匂いが風に乗って辺りを漂う。偶然通りがかった道の途中、まんまと罠にかかった僕は、おびき寄せられるようにその洋菓子店に向かって歩を進めていた。あまり人には言わないことにしているのだが、僕は甘いものが好きな方だ。しかし、男が一人でケーキ屋に入るのは少しばかり勇気がいる。スイーツが好きな男なんて格好がつかない―無意味でちっぽけな見栄のために僕はその店の前で立ち止まっていた。  そんな僕のようすは筒抜けで、店の中では店員さんが笑顔で僕を待ち構えていた。観念した僕は店の戸に手をかけ、恥ずかしさを誤魔化すように苦笑いをしながら店の中に入っていった。 「いらっしゃいませ」  こぢんまりとした店内に、若い女性の元気な声が響き渡る。何気なく僕は声のする方へと目を向けた。その瞬間、それまでケーキのことで埋め尽くされていた僕の心は、すべてを彼女に奪われるのであった。  それから先、僕は緊張して自分がなにを言っているのもわからないまま店を出ていた。家に着いてようやく落ち着いた僕は、無我夢中で買っていたショートケーキを二つ、一気に飲み込んだ。今まで食べたことのない甘い味が、僕の口から胸の奥まで広がっていった。  それから僕は定期的にその店に通った。ケーキの味が気に入った―というよりも、どちらかと言えば、その女の人のことが気になったからだ。僕は一人で食べていることを悟られないために、いつもケーキを二つ買った。自分でもしょうもないとは思うのだが、彼女の前で格好悪いところを見せるわけにはいかなかった。そんな僕の見栄っ張りな一面など知る由もない彼女は、会うたびいつも明るい笑顔で迎えてくれた。それがたとえ接客のためだったとしても―そんなことはわかっていたが、僕はその笑顔に癒された。 「おすすめはなんですか?」  何度目か店に行った時、思い切って僕はそう訊ねた。 「やっぱり一番は苺のショートケーキですかね」  ショートケーキは一度食べたことがあったな―でも彼女がそう言うのなら、迷わず僕はそれを選択する。 「じゃあ、それを二つで」 「いつもありがとうございます」  彼女の笑顔に見送られて、僕は店を後にした。帰り道、すっかり上機嫌な僕の足取りは軽かった。それに加えて苺のショートケーキが二つ、僕を待っている。いつか彼女と一緒に食べることができたら良いのに―そんな風に僕は思った。
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