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 荒野に陽気な音楽が響く。  ヴァイオリン。トランペット。トロンボーン。フルートにサクソフォン。パーカッションも揃ってる。  華やかなトリル。青空を駆けるファンファーレ。コミカルな低音のメロディーと、ドラムのリズムの追いかけっこ。  サーカスの幕開けのような、明るい行進曲。冬の澄んだ空気によく通る。  ぴしりと並んだ褐色の制服が、軍隊式の発声で拍子を取る。 「いち(アインス)(ツヴァイ)! いち(アインス)(ツヴァイ)!」  数えられているのは、足を引きずる囚人の群れ。まだ人間らしく見えるやつ。痩せこけて死体みたいになったやつ。中には本物の死体もいる。夜の間に死んだやつも点呼では数に入れなきゃならない。運んでいるやつらに表情はない。仲間が死んだ悲しみも、荷物を背負わされている忌々しさも。  擦り切れ、疲弊しきった人間の残りカス。あらゆる惨めさと絶望のカタログ。それを飲み込む冷たい鉄の門。掲げられた文字は。  ARBEIT(アーバイト) MACHT(マハト) FREI(フライ).  労働は自由にする。  そんな題目に騙される者がまだ残っていると、連中は本気で信じているのだろうか。逆さのBが人の営みの何もかもを嘲笑うかのよう。  ――そんな顔しなさんな。俺だって明日は我が身だ。  囚人の一人と目があった気がして、俺は軽く肩をすくめた。ヴァイオリンを弾きながら出来る最小限の動作。その間にも、指は馴染んだ運動を続けている。単純明快なメロディー。凍傷になりかけた指でもこの程度は出来る。  オーケストラをやっていたお陰で、この役目にありついた。仲間が労働に行くのを見送り、新たに輸送された連中を歓迎する華やかなバンド。何て陽気な葬送曲。  少しばかりのましな待遇。労働に行かなくても良いし、チップ代わりに煙草を恵まれることもある。何より音楽を続けられること。それだけ揃えば魂を売り渡すのに十分だ。今の俺はナチスに言われるまま曲を奏でる操り人形(プッペ)に過ぎない。軍歌も「旗を掲げよ(ファーネ・ホーホ)」もお手の物。総統閣下お気に入りの、ヴァーグナーでも弾いてみようか。  そう、深く考えないことだ。この世界にあるのはただ明るい空と音楽だけ。星は屈辱と迫害の象徴ではなく、天高く輝いて。
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