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扇子も買ってもらえばよかった。ハンカチであおいでも生ぬるい風が動くだけ。
ただひろも10分早く来てくれて助かった。
でもなんで浴衣姿の私を見て一瞬困った顔をしたんだろう。
慣れない草履は上手く歩けなくてせせら笑いみたいに鳴る。
土手の階段を人混みのなかゆっくり登っているとただひろが「歩きにくそう」と笑った。
「もう脱ぎたい」
手をひいてほしいのに。
発電機の音。甘辛いソースのにおい。
連なる屋台の光。誰かを呼ぶ声。
ただひろが買ってくれたカップに入ったから揚げ。
水滴で濡れたペットボトル。
砂利とコンクリート。
並んで座る。
おしりが痛い。
「好きな人とかいるの?」
「いるよ」
言ったきりただひろは黙る。風がやむ。横顔に緊張が走る。
ちょっとまって、それ、わたし?
いるよって言葉が、もしかして告白?
心の準備。
「フラれたけど」
想像の斜め上。
頭ん中はてなマークだらけ。
「東京行っちゃった。その人」
「そうなんだ」
“好きな人イコールわたし“の『わたし』の部分をぐしゃぐしゃに消して、『知らない誰か』に急いで上書き。脳内ビジー。
「でもまだ諦めてない。おまえは?」
「あー、わたしも、フラれた」
ははは、とただひろが笑って、わたしもあはははって笑いながら「今」って言う。聞こえないように、小さく。
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