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あまりにも見慣れない光景に、その場にいた全員がぽかんと口をあける。
草階がゴリラと表現されるのであれば、葛岡さんはツキノワグマだ。
だが彼はその体の大きさの反面、中身は大変に几帳面で、寡黙だが温厚でもある。
そんな葛岡さんが草階を平手打ちしたのだ。
叩かれて床に転がっている奴自身も、痛みと何が起こったのかという驚きで、頬を押えながら不思議な顔をしている。
怒るのが、罵倒された萼さんや娘でもあるサキさん、同居している俺であれば判らないでもないのだが…
葛岡さんがこの場に居る誰よりも、奴の発した言葉に怒っており、そしてなんとも表現しがたい複雑そうな面持ちでもあった。
「な…、何であんたが…!」
草階がよろよろと上半身だけを起こし、葛岡さんを睨み付ける。
彼はただ黙って、奴を見下ろしていたが、踵を返し自分の席に戻って行った。
葛岡さんが席に戻る姿を見、草階を取り囲むように集まっていた同僚も不思議と何も言わず自分の席に戻る。
森野は、未だ頭から湯気でも出そうな程怒りを発しているサキさんを宥めるようにしながら、一緒に自分の席に連れて行き、部長席の前には萼さんと俺、奴の三人だけが残った。
俺はぼんやりと、床に転がった草階の事は誰も助けないのだなと思っていた。
かといって俺も、立ち上がらせる為に手を差し伸べる気にはならない。
先程の発言で、僅かに残っていた奴に対する申し訳なさのようなものも全て無くなってしまった。
もっと早く、縁を切っておくべきであったとすら思う。
アパレル部門の全員が同じ心境になっていたのかもしれない。
草階に対する、辛うじて残っていた良心の様な物を全員が投げ捨てた瞬間であった。
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