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「夏って本当に嫌になる。冬も鬱だけど」
ぎ、と背もたれを軋ませて天井を仰ぐ先輩の横顔が疲労に覆われている。恐らく私も同じような顔をしているだろう。昼休憩の直後のこの時間帯は、冷房による冷えとむくみが徐々に足元から這い上がってくる感じがしてお世辞にも爽やかとは程遠い心境になる。
「確かに。特に残暑とか最高ですよね。心の底から消えたくなります」
「そうそう、あーまた今年も何もできないまま終わっちゃったって絶対思うもん」
あーあ、と繊細な女の子っぽいため息をついた後、先輩は課長の視線がこちらに向く前に姿勢を正してキーボードを叩き始めた。ピンク色のマニキュアがエナメルの光沢を放っている。
私は特に何の手入れもしていない、自分の裸の爪を見下ろした。手の平を天井に向けて五指を軽く折り曲げる。このまま手招きすれば猫の手だな、と声には出さずに一人ごちる。いつも土日のどちらかに切りそろえるだけの子供のような爪が蛍光灯の光をはじいた。マニキュアが禁止されていたあの頃、あの学校にはそもそも爪に良くない、と言い張る女の先生がいたし、規則に逆らっていることがばれたら即出場停止になってしまうこともあった。体育会系の部活に所属する以上、そういう空気になっていた。
真夏の体育館というのは、時に外とは比べ物にならないくらい湿度も気温も上昇する。狭い箱の中で大人数が一斉に動き回るのだからそれも当然だ。どこへ行っても空気が暑くて、いくら息を吸っても頭の中がぼうっとする。どこへ行ってもシューズが床を擦る甲高い音とラケットが弾く、小爆発のようなシャトルの音だけが断続的に響いている。それ以上にうるさいのが応援の声だ。強豪であればあるほど応援は訓練され、一糸の乱れもない統一した掛け声になっているような気がする。
その年の夏、私を含めた中学一年が初出場する大会は、三年の引退試合でもあった。人生で初めて手にしたラケットで、会ったことも話したこともない相手と試合をする。私は何故かシングルスで一回戦を勝ち進み、二回戦目でシード権の選手に当たってあっけなく敗退した。試合に負けると必ず泣く同級生や先輩がいて、そうならない私はどこか取り残されたような不安な気持ちになりつつも、すぐにどうでも良くなった。広いのに狭くて、行き場のない蒸し暑い体育館の中を意味もなくうろうろした。そうだ、思い出した。
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