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溢れた世界 壱
この世界は怪異に満ちている。
そう、怪異だ。口に出してみれば、たった三文字のひらがなだけれど、それの種類は数えきれない。
幽霊、妖怪、訳知り顔の誰かにUMAなんて呼ばれていた何か。
ほんの一年前まで、私たちと彼らの世界には、しっかり線が引かれていた。時折、はみ出してしまうことはあっても、きっと上手に住み分けられていたのだと思う。
グラスにゆっくり注がれた水が、ぷっくり膨らんで溢れるように、時間の問題だったのか、それとも急にかさが増してしまったのか。
とにかく、ことは起こってしまった。境目が曖昧になり、そこかしこに怪異が姿を見せるようになったのだ。
私を含めて、普通に暮らす大半の人たちが、どこか現実味を持てずにいる間に、とんとん拍子に事態は進んでいった。
待っていましたとばかりに、どこからか現れた有識者なる面々が議論を始め、驚くほど簡単に、警察に怪異専門の部署が新設された。
何となくそれを見守る私たちの生活に、特に大きな変化は無かったけれど。それはたまたま、運が良かっただけなのだ。
「本当にここ……だよね?」
自分のグラスが溢れて慌てた私は、バイト先で聞いた噂話を頼りに、まさしく藁をも縋る想いで、怪異を専門に扱っているという事務所の話を聞いてやってきた。
すでに辺りは薄暗くなっている。どんな怪しげで入りにくい建物が現れるのかと身構えていたけれど、そこはどう見ても怪異だとか、何かの事務所と呼ぶには程遠い雰囲気だった。
丁寧に手入れのされた木々や草花が配置された趣のある木造の建物。重そうな鈍色の取手のついた両開きの扉には、Cafe SATOと書かれた、外装からすればやや可愛すぎる札がかかっている。
どう見ても個人経営の、つまりはおそらくサトウさんなる苗字の人が店長であろう、カフェに違いなさそうだった。
「今日はそこ、定休日だよ」
のんびりした声に振り返ると、私より少し背の高い男の子が立っていた。
同世代か年下だろうか。色素の薄い瞳をぼんやりとこちらに向け、寝癖のついた髪をいじっている。
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