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雨には匂いがあると思うのは僕だけではないだろう。夏雨の降り始めに漂う埃っぽい匂いはペトリコールと言って実際に嗅覚を刺激しているが、僕が言いたいのはそういうことではない。花を散らす温かな春雨だとか、茹だる夏を終わらせるような秋雨、清澄な寒雨は、鼻腔を、肺を満たす空気を香りづける。
この教室もまた、雨の日には普段とは違う空気に満ちる。それも、この古びた教室のかび臭さや、時代遅れの錆びた椅子や机の鉄臭さを指摘するものではない。グラウンドから聞こえる運動部の掛け声、白球を弾く金属音はそもそも無くなり、それ以外の雑音も雨音に飲まれる。均一な音が支配するこの空間は無音よりも静寂であって、いつもより鋭敏になった五感が、嗅覚器にて受容された分子ではない匂いを感じ取ると、そう思うのだ。
日が落ちるにはまだ早い時間であったが、分厚い雲が日光を遮っていて、また、教室の蛍光灯が外の暗さを際立たせている。明暗の対比が、この教室を外界から切り取っているようで、何もない世界にこの教室が漂っている様を想像した。この世界に、僕二人たちだけ。彼女がページを捲る音が、いやに大きく聞こえた。僕は本への集中を切らして、立ち上がって伸びをした。窓に近づいて、少し大きめに呟く。
「しかし、これは強い雨だね」
すると彼女は読んでいたページに指を挟んで顔を上げた。長い前髪を手櫛で整える。
「そうですねえ」
彼女はゆったりとした声で答えた。
「君、傘は持っているのかい」
「いや、実は忘れてしまって。通り雨かと思って止むのを待っているのですが」
彼女も窓の外に目をやるが、依然雨脚は強いままだった。僕は少し息を吸った。
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