2.彼

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 あの様な男子の知り合い、いたかしら。陽依は自分の記憶の中を探したが、彼の顔に見覚えは無い。すくなくとも、中学時代の同級生にはあの顔はいなかった。ならば、小学生、幼稚園の時の知り合いだろうか。だとしたら、成長し、姿が変わって記憶と一致しないということもありえる。  いずれにしても、電車の内と外。近距離ですれ違うにしても、隔絶された場所にいる相手には確認はできなかった。  次の日も、彼は陽依に向かって手を振った。自分に向けられているとわかった今、陽依も反射的に手を振り返した。それを確認した彼は、それまでしていたより一層大きく手を振ってよこした。  大袈裟なリアクションの彼を、隣の踏切待ちの人が胡散臭げに見ていた。その様子を見てしまった陽依は、何故か恥ずかしい気分になった。  あの踏切の男子高生が、陽依の昔の知り合いかどうかはわからない。しかし、懐かしいような気持ちにさせる人であることは、間違いなかった。  それからも、陽依とその彼は毎朝手を振り合った。陽依は、学校に登校するのが苦痛である事は変わらなかったが、通学中にその踏切を通過する瞬間だけは毎朝の楽しみにした。  梅雨の時期になり、雨のせいで自転車登校できない為か、踏切で彼の姿を見かけない時など、がっかりしてしまうくらいだった。  梅雨明けから数日経ったある日、ふと気紛れを起こして、陽依は唐突に、彼にじゃんけんを仕掛けた。彼はいつも通り手の平を陽依に向けていたので、「チョキ」を出した陽依の勝利となった。彼のキョトンとした顔に対して陽依は意地悪い笑みを作ってみせ、そのまま電車で過ぎ去った。  不意打ちのじゃんけんで勝ったことより、突然の事についていけない彼の反応が愉快で、陽依は思い出し笑いが堪えられない状態で学校に着いた。そして、その気分のまま、同じクラスだが今まで話したこともない女子生徒に、「おはよう」と声をかけていた。  見知らぬ男子に突然じゃんけんを挑むより、同級生に朝の挨拶をする方が、思えば余程ハードルが低かった。  次の日も、陽依は彼にじゃんけんを挑んだ。今度は彼もすっかり待ち構えていて、勝負は正しく成立した。  グーを出した陽依に対して彼はチョキを出し、この日も陽依は勝利した。視界の端の彼は、悔しそうな顔をしてみせた。
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