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その日の夕飯の後、最後に海が見たいからと、圭人に散歩に誘われた。
湊も一緒にどうかと誘ったが、好きなアイドルが出るテレビがやるからと、断られてしまった。
今思うと、湊なりに最後に気を使ったのかもしれない。
圭人と二人で海岸を歩いていると、渚は切なくて苦しくて、今にも泣き出しそうになった。
「渚、ありがとうな、今まで」
「え?」
「高校の頃から、俺の夏はこの街と、渚と湊とおじさんだった。夏が来ると、ああ、またここに来れるって楽しみでさ。今まで、いい夏をありがとう」
「なにそれ・・・」
圭人が急にそんなことを言い出したので、渚は涙ぐんでしまう。
「泣くなよ。渚はいつまで経っても泣き虫だな」
こんな時、いつもだったら頭を軽く撫でてくれるだけだった。しかしこの夜の圭人は少し違っていて、涙ぐむ渚の体をきつく抱き締めてきた。
初めて全身に感じる圭人の温もりに、渚の心臓は張り裂けそうだった。
「もう、また来年くるって言えないんだな・・・」
誰もいない夜の砂浜。波の音にかき消されそうなぐらい小さな声で、圭人が呟いた。
「そんなこと言わないでよ・・・」
渚の瞳からは、さらに涙が溢れ出す。そんな渚を、圭人は何も言わずにさらにきつく抱き締めた。
結局渚は胸がいっぱいで、一番言いたかった「すき」の二文字を伝えられないまま、泣き続けることしかできなかった。
そんな渚が泣き止むまで、圭人はただ静かに抱き締め続けた。
「・・・帰ろうか」
渚が落ち着いてくると、圭人は静かに、優しく言った。
この言葉に頷くと、そっと手を握って歩き始めた。そして一言、
「渚は俺がいなくても大丈夫だから」
と言った。
それはまるで、兄が幼い妹をなだめるような感じで、渚は自分が全く女として見られていないということを悟った。
だったらせめて、この繋いだ手の温もりは忘れないでいたいと、渚は心に焼き付けるように、圭人の手をキツく握った。
次の日の朝、圭人は渚が目覚めるよりも早く、この街を出ていった。
もう泣かれても「また来年」って言えないから、渚に会わないようにこの街を離れたのだろう。
それ以来、圭人がこの街に来ることはなかった。
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