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 私がまだ幼い頃に祖母は亡くなりました。  祖母の記憶はほとんどありません。幼かったからでしょうが、不思議と印象に残っていないのです。  思い出そうとしても、浮かび上がるのは、ぼんやりとしたシルエットばかり。  ただ、母とは頻繁に言い争いをしていた気がします……。  お葬式、寝室で大人しくしているよう言いつけられた私は、着せ替え人形などを相手に遊んでいました。  いい加減、ひとり遊びにも退屈してきた頃でした、パタパタとスリッパの音が近づいてきました。  障子の開く音がし、遠く聞こえていたお経が少し大きくなりました。  後ろを向いていた私は、目の前にある姿見の大きな鏡越しに喪服姿の母を視認しました。  こちらとなんら変わらない寝室の景色。あちらも沈みゆく夕陽に照らされていました。  母は夕陽を遮るように立っていて、陰を帯びていました。逆光のせいか、いつもの母とは違って見えて、なんだか不気味でした。  と、そのとき、私はおかしな点に気づきました。  鏡の中の母の頭に、細長いものが二本、あったのです。  子供ながら不思議に思った私は、すぐに振り返り、こちら側の世界の母の頭上を確かめようとしました。  ですが、母はすでにきびすを返していて、その場から立ち去っていました。私は後を追うように顔を覗かせて、小走りで去ってゆく後ろ姿をうかがいました。  廊下の突き当たりを曲がる母の頭上に、それはありませんでした……。  私の見たものがなんであったのか、今となっては確かめようもありません。何故なら、あの鏡はその翌日に割れてしまったのです。  件の鏡は祖母のものでした。それがどうして割れてしまったかですが、その理由は知りません。  母にたずねても、「知らない」の一点張りです。  あの葬式の日から、母は何故だか鏡を嫌うようになりました。その理由も知りません。いくらたずねても教えてくれないのです。  これはあくまでも私の想像なのですが、母は鏡の中にいるもう一人の自分を見たくない、のではないでしょうか。  鬼のような角を生やした、もう一人の自分を、です……。 【完】
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