本文1

2/21
前へ
/21ページ
次へ
 そして呪いとの最大の違いは、その霊が人に災いを下すか否かの意志の有無である。呪いは意識して人に災いを下すものであるが、生霊には自覚症状はない。そこで文化人類学でも前者を呪術、後者を妖術と呼んで区別している。  「生霊。」それは明らかに存在し、私も被害を受け、また与えてきたのだ。          *    これは、まだ私が初任校にいて、人一倍働いていた頃の話である。  教師という者はとかく傲慢になりやすい。私はそれを「自我肥大化症候群」と名付けた。相田はそのような教師の典型であった。重要なポストについているわけではないが、その傲慢な態度は誰にでも鼻につくものであった。奴は元左翼であったが、高校紛争を経験してノンポリを自称していた。しかし私のような右翼的発言は完全に馬鹿にしきっていた。  これは私がまだ病気になる前の話であるが、私は職員会議で徐々に手を上げるようになっていた。  当時の職員会議は盛んであり、左右咲き乱れての熱弁の振るいあいであった。  というよりは野次の飛ばしあいであった。  私はそのような職員会議に辟易としていた。大体、発言するのに手も上げずに、しかも野次を飛ばすとは何事ぞ。国会議員にでもなったつもりか?たかが下衆下郎の高校教師の分際で。  さて、事件が起きたのは休職する2年前だったと思う。  私が顧問をしていた合気道部の一年生の男子4名の生徒が袴を穿いていた。袴は有段者以外には認められないというのが部の方針であった。    更衣室で大声がしたので、私は様子を見て驚いた。小柄な一年坊主が袴を穿いて、まるでどこかの村の村長にでもなったかのように突っ立っていた。  顧問としては許し難い。合気道部では技は上級生の真似をしてもいいが、格好まで真似をしてはいけないのだ。    「君ら何や。その袴は?」  「先生、僕ら応援団作るんです。」  「何アホ言うとんじゃ!すぐに脱げ!」  私は即座にそれを脱がせた。  「ぼけが、話のわからん先公よなあ。」  
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加