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そして呪いとの最大の違いは、その霊が人に災いを下すか否かの意志の有無である。呪いは意識して人に災いを下すものであるが、生霊には自覚症状はない。そこで文化人類学でも前者を呪術、後者を妖術と呼んで区別している。
「生霊。」それは明らかに存在し、私も被害を受け、また与えてきたのだ。
*
これは、まだ私が初任校にいて、人一倍働いていた頃の話である。
教師という者はとかく傲慢になりやすい。私はそれを「自我肥大化症候群」と名付けた。相田はそのような教師の典型であった。重要なポストについているわけではないが、その傲慢な態度は誰にでも鼻につくものであった。奴は元左翼であったが、高校紛争を経験してノンポリを自称していた。しかし私のような右翼的発言は完全に馬鹿にしきっていた。
これは私がまだ病気になる前の話であるが、私は職員会議で徐々に手を上げるようになっていた。
当時の職員会議は盛んであり、左右咲き乱れての熱弁の振るいあいであった。
というよりは野次の飛ばしあいであった。
私はそのような職員会議に辟易としていた。大体、発言するのに手も上げずに、しかも野次を飛ばすとは何事ぞ。国会議員にでもなったつもりか?たかが下衆下郎の高校教師の分際で。
さて、事件が起きたのは休職する2年前だったと思う。
私が顧問をしていた合気道部の一年生の男子4名の生徒が袴を穿いていた。袴は有段者以外には認められないというのが部の方針であった。
更衣室で大声がしたので、私は様子を見て驚いた。小柄な一年坊主が袴を穿いて、まるでどこかの村の村長にでもなったかのように突っ立っていた。
顧問としては許し難い。合気道部では技は上級生の真似をしてもいいが、格好まで真似をしてはいけないのだ。
「君ら何や。その袴は?」
「先生、僕ら応援団作るんです。」
「何アホ言うとんじゃ!すぐに脱げ!」
私は即座にそれを脱がせた。
「ぼけが、話のわからん先公よなあ。」
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