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また、神が本当に復讐されるのなら徳川幕府などはあんなにも長く続かなかったであろう。勿論、天皇家も百二十五代も続いているはずがない。
そこで私は生霊の存在を疑うようになった。
「私は病気なのだ。離魂病なのだ。だから生霊が飛ぶのだ。」
ところで、その頃の私は底辺校をたらい回しにされ、校区内でも最底辺の学校にいたが、その最初の年に校長になったのが沢田であった。前任校から口が悪いので有名なパワハラ教師であった。
沢田は、なぜかいつも話す時には田舎にある偉人の銅像のようにふんぞり返っていた。
威張っていたのである。威張ることに寄ってのみアイデンティティーが保たれると信じている類の人間だったのだ。
私はこいつにも生霊を飛ばしたつもりだったが、まだ生きているらしい。やはり馬鹿には呪いが効かないのか。
*
この当時の出来事でどうしても話さずには居られないのが蛇女のことである。
この女、私の高校の同級生であったが休職中に病院で偶然再会したのである。
当時の私は一年間の休職を管理職から言い渡され、今では許されないことであるが、「外国へでも行ってこい」と言われたのでロシアへ行った。そしてロシアからアフガンへ入り、人が死ぬところを多く目撃した。従って人の死に対して爬虫類のように感情が鈍磨していたのである。
その上、ロシアから帰国してから悪逆非道の数々を重ねてきた。
チンピラと喧嘩をし、容赦なく武道を使った。
私は武道の段を合計六段持っている。その上に生きることに辟易としていた。怖いものなど何もなかった。
髪の毛はパンチパーマにそり込み入り、眉毛は落としてサングラスをかけ、クラウンで武装していた。もしもの用心のためにスタンガンと催涙スプレーと防弾チョッキを身につけていた。
チンピラをのばすこと数十回、立ち入り禁止になった喫茶店が三軒、当たりやまがいのことをやって運転手をゆすること数知れず。
なぜか警察に捕まったことがなかったのが不思議である。
喧嘩のパターンは決まっていた。
私が車を蛇行運転したり右車線を走ったりする。
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