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本文1
「相田が死んだ!」
その知らせは私が三校目の学校にいる時に飛び込んできた朗報であった。何でも、心臓発作を起こして学校の地理室で倒れ、AEDもない時代だったので、はいあの世行きであったらしい。
しかし、誰も心臓マッサージも人工呼吸もしなかったというから驚きである。
「相田先生、どうしたんですか?」
「おい!大変や!倒れている。誰か救急車。それから養護教諭!」
「先生、その前に脈とって。脈はある?」
「えらいこっちゃ。ないで。」
「息は?しとるか?」
「どないしたらわかるねん?」
「耳を鼻と口に近づけてみい。」
「え、え、え、えらいこっちゃ。息してない。こりゃ死んでる!」
発見した地理の教師は一生涯にこんな事件に遭遇したことはなかったのだろう。小さな子供のようにあわてふためいていた。
少し冷静なもう一人の発見者の教師は慌てふためきながらも、自分が何か手柄を取ったかのように地理の教師に指示する。
その後、地理室には物見高い生徒達で溢れていたと言う。
私は欣喜雀躍として喜んだ。復讐を考えていたからである。手間がかからずに逝ってくれたものだ。
そして次に飛び込んできたニュースは田口が植物状態になったという知らせであった。彼も私の転勤が遅れていたら復讐の対象となるべき教師であった。
それにしてもなぜ次々と人が、しかも私の復讐ターゲットが死んでくれるのだろうか。 その理解のキーとして私の脳裏に浮かんだのが「生霊」の存在であった。
死霊については日本人ならば説明は不要だろう。お岩さんもお菊さんも死霊である。
ところが「生霊」となると無知や誤解が蔓延していて、その実態を知っている者は少ないように思う。源氏物語で六条の御息所が葵の上をとり殺した物であると言ってもあまりピンとこない。
私は鬱病になるまでは「生霊」などと言うものは信じていなかった。しかし、今では死霊よりも生霊の方が恐ろしいと思っている。 生霊は本当に人間をとり殺す。病気なのだ。事実、江戸時代には一種の病気だと考えられていたことが「遠野物語」からもうかがい知れる。
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