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俺たちは沈黙していた。少年俺はなにか考えているようでもあったし、ただボケッとしてるようでもあった。どうにも蒸し暑くてしかたがなかった俺はその間、耳の裏の脂汗を指で拭ったり、シャツの裾を持ってぱたつかせたりした。
「日本全国乱痴気音頭は今から六年後――一九九一年の冬になんの前触れもなくお開きになる」
沈黙に耐えられなくなった、というより、口を動かせば蒸し暑さがどうにかなるんじゃないかと考えた挙句の音吐だった。効果があるかどうかはわからない。
「聞いたよ、さっき。んでバブルっていわれちまうんだろ」
「平成二年のうちにそいつを思いだせ。じゃねえと大火傷をする。俺みてえにな」
「へえ。ヘーセーっていうのか、昭和の次は。俺みてえって、おっさん失敗したのか」
「一生かかっても返せねえ借金ができた。まあ、借金どうこうより、命を狙われ続けたことのほうがしんどかったがな」
「狙われ続けたって……なんだよ、それ」
のんきだった俺少年の顔つきが不安のそれと入れ替わっていく。
「……もしかして、オレもそうなんのか!?」
「もしかしなくてもそうなるさ」
「ふざけんなよ! おっさん、いったいなにやらかしたんだ!」
「なんだおい、俺はお前に怒られてんのか」
「当たり前だろ! おっさんだけの人生じゃねんだぞ!」
命を狙われている間に、俺は姓を沢村から鴇田へ変えた。
「なかなか面白えこというじゃねえか」
三親等以内に身寄りを持たない者の戸籍はやたらと値が張る。二十代や三十代のそれに至っては高級外車一台分もの値がついていた。そこまでの銭を持っていなかった俺はペルーまで行き、日系専門のブローカーに直接頼みこんで、俺より二年ばかり余計に生きている男の戸籍をなけなしの三百万で買ってきた。失踪宣告の手続きは十数年前に恭子がしている。俺が元いた世界にはだから、沢村怜二などという人間は存在していない。
「ひょっとしておっさん、殺されたのか!? 死んで……それで、タイムスリップしちまったのか!?」
俺は少年をビビらせるために、わざと黙り続けてやった。蒸し暑さがぶり返してくる。
「なんとかいえよ、おっさん!」
「マンガの読みすぎ――」
「そんなんだったらオレ、金なんか要らねえよ!」
闇に桃色が伸びる――予備動作なしでの素早い立ちあがり。
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