エリートの夜

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エリートの夜

オフィスを後にし街を行く道すがら街頭モニターのニュースにはまた不快な文字。 「またもブラック企業の被害者 遺書残し自殺」 「ふんっ!!」 痛ましいニュースだが田中一郎には最も縁遠い話だ。 それと同時にえもいわれぬ優越感に満たされた。 自分は恵まれた環境を自らの手で勝ち取ったのだと。 奴らが家畜ならば自分は野を生きる力強い野生の猛獣だ。 そんな事を考えながら自らのマンションに戻る。 世の社畜と呼ばれる人々ではローンすら組めない様な高級マンション。 しかし部屋の中はまるで越してきた夜のように何も無い。 何しろ田中一郎には必要ないのだ。 帰宅したらスーツを脱ぎ 風呂にゆっくりと浸かり 朝昼に比べれば少しは彩のある晩餐を軽くとり そして明日に備えて寝るだけ。 それが田中一郎の1日だ。 あまりにも味気なく見えるが田中一郎は満足しているし充実していた。 振り込まれる高い給料も 難しくもやりがいのある仕事 尊敬できる上司と同僚もいる。 そしてそれに全力で挑む自分がいる。 これは他の企業と何ら変わりはない。 ただそこに至るまでも余計なプロセスが省かれただけ。 自分の血の分けた娘にすら蛇蝎の如く嫌われている汚らしい親父が 花の女盛りの貴重な時間を仕事に捧げなければならない不機嫌な女と手を取り合えるわけがない。 頑張ることを世間に忘れる様に作られた若者と時代にまくし立てられながら生きてきた上司と歯車が噛み合うわけがない。 その歪みがパワハラ セクハラ モラハラを産む。そして生まれた淀みは職場に広がり業績を圧迫し皆を苦しめる。 「なんて愚かな奴らなんだ。」 既にベットの1部と化した田中一郎は吐き捨てた。しかしまたも腹の底からジワジワと優越感が滲み出す。 近頃の田中一郎はこうした社畜と呼ばれる人々を蔑み彼らが欲しても手に入らない事をする事に快楽を得ていた。 我ながら悪趣味だと自覚しているが これは努力してきた者の特権 そう信じて疑わない。だから辞められない。 「さて今度は結婚でもしてみるかな?」 その言葉を最後に夢の世界に旅立ち 8時間後にまた戻る。 こんな繰り返しの生活を田中一郎は生涯続けた。
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