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と、横で浅田が、おもむろに手にしていた袋をがさがさと弄(まさぐ)り始めた。その音に、急に現実感が戻ってくる。先程、ここへ来る途中で寄ったコンビニで調達してきたものだった。
彼は、まるで子どもがそうするように、花火セットを取り出すと嬉しそうに目の前に高く掲げてみせる。
「だから、これで行く夏を見送ってやろうと思って」
「……と言うと、精霊会(しょうりょうえ)みたいなものですか?」
「おお、さすがは門前の小僧。高校生のくせに難しい言葉を知ってるなあ」
「この場合、父はあまり関係ないと思いますけど。ふだんは至ってふつうのおじさんですから」
妙なところで感心してみせるかつての父の教え子に正直なところを告げると、冗談でしょ、とさもおかしそうに軽く笑っていなされる。
「まさかあの黒川先生に限って、ふつうなんて概念の枠に納まっているわけがないだろ。何たって、あの国語学の生ける伝説・黒川倫之(ともゆき)だぞ」
「……よく分からないですけど、浅田さんのなかではうちの父親、何だかすごいことになっているみたいですね」
──ふたりで花火をしようと浅田が言い出したのは、その父親が学会で不在の折、いつもそうしているように外で夕食をともにした帰路でのことだった。
『──今から、海に行って花火をやらないか?』
何故、来月御年三十にならんとする男が、急にそんな浮かれたことを言い出したのかはともかく、誘われた広稀としても特に断る理由もなく、こうしてふたり、夜の海にやってきたというわけである。
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