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N先輩のアパートに行くのははじめてだった。
コンビニと小さな商店街のある駅から徒歩10分ほどのアパートの部屋を外から見ると、窓はしっかり締められていた。
かといって部屋の前まで行ってチャイムを鳴らしても返事がなく、Sさんが硬い表情でドアノブをひねったときに鍵はかかっていない。
SさんがU君を見る。やめましょうよ、と思ったが言えなかった。
一枚の戸板を挟んだ向こうはどうなっているかわからないのにだ。
Sさんがゆっくりと薄っぺらい境界線であるドアを押す。
最悪の予感と、雨の前のドブの臭い。あとは腐ったゴミの鼻をつくいような刺激臭と、熱気のような湿気が開けかけたドアの隙間からふたりに直接流れてきた。
「N、入るぞ」
強張った声をかけるSさんに続く。異常に暑いのに寒気がした。
N先輩は、いた。生きていた。座っているし、動いているのだからそうなのだろうと思ったという。
僅かにほっとし、すぐに極限まで緊張した。あれを緊張というのかはわからないそうだ。
いたのはN先輩だけではなかった。
N先輩は、ワンルームの部屋で壁の方を向いて座っていた。
壁の前には女が立っていた。軽いアウトドアに行くような薄い緑のTシャツの女の白い腕を、座ったままのN先輩はぶつぶつと何か言いながらさすっている。
だがその女の顔を見た瞬間、U君は固まってしまった。前の川のところでは、驚きに声が出た。今は違った。辛うじて、ひゅ、という音が自分の喉からしたのを聞いた。
女の顔があのときのものと同じなのか、U君にはいまだにわからないという。
渦の女だった。ひとりの人間の顔が、輪郭の中でぐるぐると渦になっていた。
もはや目は目の形でなく、口も口とは言えない。だが唇は赤く、両目は、確かに黒目があるから両目なのだ。
ぐりん、とあのときと同じように渦の女はN先輩からU君に視線を移した。
顔の横あたりについたものと、額のあたりの黒目がU君を見ていた。画像加工に失敗したものがそのままそこにあったかのようだった。
そのU君の腕を掴んで外に出たのは、Sさんだった。
その日、どうしたのかをU君はよく覚えていないという。
ただ、N先輩は部屋から出てこなかったし、SさんはU君をFのいる自宅にまで送ってくれたのは確かだろうとは思っている。
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