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俺はべたつく汗を、喫茶店のクーラーで冷やしていた。新しい彼女との三回目のデートだ。遅れまいと少し早足で来たのだが、そのせいで彼女に「あせくさーい」とかいわれたらどうしようかな。大学もバイトもない平日の昼下がり。
アイスコーヒーを五分の四まで飲み干して、ドリンクバーにすりゃよかったな……と俺は悔やみ始めた。その時、入り口の茶色の扉がすっと開いた。
「おまたせー」
ふわりとした袖の、美奈が笑顔で近づいてくる。唇がつややかなピンクで色っぽい、とほめるてもいいのだろうか。まだキスもしていないのだ。俺は曖昧な笑みを浮かべた。
「この店のコーヒーおいしいよ」
「わあ、そうなの」
美奈は薄茶色の髪をゆらして笑う。しかし、彼女はドリンクバーで白いカップに、紅茶を入れてきた。
暖かな湯気とともに立ち上る、冷たい香り。
「それ、ハッカ入っている? 」
「え? ああ、ペパーミントよ。さわやかで好きなの」
「うん。夏は涼しそうなのがいいよ。そういえば、恋人には、花の名を一つ教えようって話がなかったかな」
「うんうん、あったね。花は毎年必ず咲くから、その女性のことを思い出すって。何か、花の名前を教えてくれるの? 」
俺は虚を突かれた。朝顔、といいそうになり、それは小学一年生でも知っていると思い直した。
「夕顔っていうのは、知ってるかな」
「うん……」
美奈ははっきりしない。俺はスマホで検索した。
「あら、白くてきれいな花ね」
やはり、知らなかったらしい。美奈は小さな液晶画面をしげしげとのぞき込んだ。
「実家の周辺の畑に、夏になるとよく咲いていたんだ。子供時代の思い出でね」
夕暮れの緑濃い畑に白い花が並ぶ光景は、セミの鳴き声と結びついた記憶だった。
「わかった。この花を見たら、田崎くんのことを思い出すよ」
「ほんと? うれしいな」
俺の声は、はずんだ。これで別れても毎年……いやいや、縁起でもない。美奈とのデートは順調だ。俺はアイスコーヒーのおかわりを頼んだ。
そして、美奈の手元のカップに再び目をやって、冷たいアイスコーヒーのグラスをクッとにぎった。
どうしても思い出してしまう。
ハッカについて教えてくれた、前の彼女のことを。
アイスコーヒーは、ひときわ苦く感じられた。
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