第1章

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 朝顔を育ててみた。  独り暮らしのアパート。二階からのベランダは大した景観ではないが、いいさ、僕には心のオアシスがある。  朝顔。  この前種を買い、育ててる。  小学校の夏休みの宿題じゃあるまいしと最初はいやだったが、案外おもしろい。毎日毎日、少しずつ水をやり、早く早くと願いながら観察する。それがどれだけ心を癒してくれるか。  そして今日、僕のオアシスは鮮やかに咲いた。  爽快な夏の空を溶かしたかのような水色の朝顔。それに水をやると水滴の中にこの花の色を無数に閉じ込め、心がうるおう。  あぁ、たまらいな。育てた甲斐があった。  これで、明日からまたがんばれる。 「きもちわるっ」  僕は、んっ、と動きが止まる。  辺りを見回す。  このアパートは薄い壁一枚でさえぎられてるだけで、隣の部屋がいつも丸聞こえだ。左のは夜うるさいし、右隣はたまに「死にてぇ」とつぶやき、憂鬱にさせる。  そんなとこだから、僕は辺りを見回したのだ。  しかし、誰か見てた様子はない。  誰の声でもないのか。  今の声、僕のことをいってるようだったが。  てか、今の声……ここの住人にはない声質だったぞ。  ふと、僕は朝顔に目をやった。  いや、そんなはずがない。  朝顔。  確かに、僕だって朝顔に対する情熱というか愛情が世間に披露できるものじゃないことくらい分かるさ。ヨダレまで垂れてたんじゃないか。いや、だけどさ。だけど。ねー。まさか、朝顔がしゃべるはずはない。  漫画の見すぎだ。  朝顔がしゃべるなんて、そんなことあるはずがない。もし、しゃべったとしても、僕はこんなに気持ちを込めて育てているのだ。感謝こそすれ、きもちわるっ、なんて女子高生が辛辣に吐き捨てるように言うはずないじゃないか。 「はっ」  気のせいだろうか。  僕の耳に聞こえたのは、鼻で笑うような声だった。  鼻で笑う。  ……ははっ、おかしい。  花が、鼻で笑う。は、はははははっ。  ◆  世間の子供たちが夏休みでも、社会人は働いている。  家から遠い会社まで、満員電車にゆられ。  外に出たら異常なほどの猛暑、四十度を越えて外出禁止と行ってるわりに、うちの会社は休みにならない。  汗だらだらのシャツで出勤。  消臭スプレーをかけても臭いは完全に消えない、というかこの汗のあと、どうにかならないものか。びっしょり濡れてしまった。タオルでふくが、大して変わらない。
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