第1章

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 稲川淳二の怪談賞ときいて、これは生半可な話じゃ通らんと思い、しかし、誰に聞いたところで、ホイホイとこわい話が出るわけでもないし。どうしたもんかなと。  自室のベッドで寝転びながらスマホいじってると、ふと彼女のことを思い出した。  むかしのことだ。  まだ年端もいかない子供だった頃、僕はよく父につれられてゲームセンターに通っていた。  別に父がゲーム好きというわけじゃなく、パチンコ屋の横にゲームセンターがあったからで、最初に五百円を渡され、それが無くなると父にもらいに行くのだが、玉が出てるときは機嫌がよく、出ないときは機嫌が悪かったのを覚えている。  この手の父親はうちだけじゃないらしく、ゲームセンターには僕以外にも子供がたくさんいた。僕より年下もいたし、上級生もいた。  彼女は上級生だ。  当時の僕はまだ小学二年生くらいで、これと比べたら五年生の彼女は大人びて見えた。  年少の子供をよく見る人で、僕もずいぶんお世話になった。  あの頃はまだゲームに偏見があった時代で、いや今でもあるかな、ともかく女子はあまりゲームをやらない、やってはいけない、なんて平気で言う輩が多く、女の子がゲームセンターにいるのをいぶかしみ、ときには注意する大人もいたが、彼女はむしろそんなこと言う大人より毅然として、さらっと対応していた。  僕らの年頃というか、当時のゲームは……こういう言い方をすると過去に囚われた中年じみてほんとに嫌だが、あのときのゲームはとても魅力的だった。格闘ゲームはたった100円で熾烈をきわめた戦いを繰り広げ、シューティングは数少ない小遣いを減らすまいと努力させ、それらを自分以外にも子供がたくさんいる環境でできたのは、とても幸福だった。  いや、僕らは一日中いたわけじゃない。  というか、通う頻度だって週に一回というペースでもない。ゲームが好きな僕は週一でもいいが、父はパチンコと戦う軍資金に限りがあるし、母の目も気にしなきゃいけないため、月に一回か二回、行けたらいい方だった。  それは他の子達もいっしょだったようで、そして着いたとしても一日中いるわけじゃなく、親が早々に負けると二時間もしないで帰る子もざらにいた。  彼女は、帰らなかった。  ゲームセンターにいる面子はいつもバラバラで、半年経ってようやく誰が誰だか分かるようになったが、彼女だけはすぐ覚えた。彼女はいつもいたからだ。
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